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ユーラシア大陸 序章

何とか予定通り7月28日帰国する事が出来た。
道中、ブログ更新出来るつもりでいたが、自分のレベルではそこまでの余裕がなく、心配をかけてしまった。
単なる10行程度のブログでも、自分の場合そうとう時間を要するんで、別の作業を優先してしまうのです。
だもんで、これからも多分移動中は更新は無理だと思うんで、そんなもんだと考えてもらうとありがたし。

今回の帰国中にまとめて更新する予定なのだが、なかなか出来ない。
その間、あらゆる方面から早く更新しろとの声があり、ようやくの更新開始です。
申し訳なし。


2012.7.4 酒田出発

 出発準備完了
IMGP4323.jpg

分らないことがあまりにも多く、不安な旅だが、心配ばかりしていては何処にも行けない。
取りあえず前に進むのだ。自分に言い聞かせ、妻と虎徹に見送られ、スロットルを捻った。
エンジンは快調だが、前輪が偏心しており、フロントタイヤがぶれるのが気にかかる。
タイヤを替えたばかりなので、走っていれば馴染んでくるはずと思っていたのでかまわずに走る。
しかし、青森まで走っても治らない。
どうも予想が外れたようだ。
友人の話では、原因はタイヤ交換時ビードの滑りが足りないから起こる現象で、これはバイク屋の話だから間違いないとのこと。
しかし、交換したときの感じからイマイチ納得出来ず、バイク屋と対決してきた自分としては、意地でもみとめたくねぇと言ふ頑固な気持ちがあったのだが、これからのことを考えるとそんなことは言ってられない。
敗北気分でしかたなく、弘前でレッドバロンで調整してもらう。
しかし、レッドバロンでも色々やったがうまくいかない。
結局、タイヤ自体が問題のようだ。
これを聞いて気分は複雑、治らないのは困るが、俺が困るレベルはやはり本職も大変なのだ。
っと自尊心を回復した気分。
しかし、流石プロ、ちから技で無理やり合わせ、ウエイトバランスを取ってかなりブレを抑える事に成功。
7000円もとられたが、まぁしかたなし。
タイヤがミシュランなんで、捨てるのは勿体ないものね。
出だしからこんな感じで先が思いやられる(特にフロントタイヤはパンクしないでくれ)



青函連絡船で北海道に渡り、日本海の海岸線をなぞりながら北上し、8.7に稚内に到着
日通稚内支店に行き、バイクの輸出手続準備をする。

前回冬季訪問時の写真と同じ場所から撮影してみました。


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当日フェリーターミナルに出航2時間前に行き、バイクから荷物を全部降ろし、ハートランドフェリーのカウンターで、乗船手続(予約してあるので、切符を貰うだけ)を行い、手荷物(バイクに積んでた荷物)を預け、外に置いてあるバイクをフェリーの岸壁まで運び、そこでバイクの出国審査が行われ(エンジン、車体番号の確認とバイクの帰国方法(あくまでも予定)を質問され、終了後自分でバイクをフェリーに運び、その後歩いてもとのターミナルに戻り、一般客と同様に、出国審査、税関審査を行い、乗船となる。

いよいよ7.9.10:00 稚内港をコルサコフに向け、出航
DSC_0140_20120801091110.jpg

コルサコフ港につくと、バイクの入国審査が船内で行われたが、想像以上に物々しい、怖い顔をしたロシア審査官と総勢6名程度で書類を見ながらロシア語であれこれ質問するのだ。
それも、今回の船には車両で乗り込んだのは自分だけで、期待した仲間はだれもいない。
無論こちらは業者に対応を頼んでいるので、その人が中に入ってやってくれる。
これは自分だけでは絶対無理だと感じる。
色々な書面にサインをして、無事終了、ほっとする。

日本時間16:00 現時時間18:00頃サハリン コルサコフ港に到着
DSC_0150.jpg

フェリー下船後岸壁からバイクを下ろし、ターミナルまで乗客用のバスについて行く。
これは、特例だそうで、本来バスに乗ってターミナルまで行き、入国審査終了後にバイクを取りに船まで戻ってこなければならないらしい。
船からターミナルまでは800mぐらいありかなり道が悪い、途中、海岸を見ると野犬らしき群れがいた。
ターミナルと言っても古いたてもので外見を見ても判らない程度のものだがやることは通常の入国手続とかわらないようだ。

バイクに荷物を積込み、今晩宿泊予定のサハリン第一の都市ユジノサハリンスクに向けていざ出発!
っと、即車に衝突しそうになる。
あ、ここは右側通行だった。
これが最初のヒヤリだが、これから何度も経験する事になる。
コルサコフから出る道が分らないが、幸い唯一日本語が話せる方が、乗客にいて、これからタクシーでそっちに行くとのことなので、ついていく事にする。
走って5分ぐらい下ところで、後ろの車からクラクションで停止させられる。
何だと思ったら、バイクから紐がひらひらしていると言ふ。
それを直してくれて、頑張れと握手して去っていった。
このときが初スパシーバ(有難う)その後無限に言うことになる言葉だ、ロシア人には非常に面倒見が良い人がいっぱいいるのだ。
しかし、タクシーとははぐれてしまったが、あとは一本道なので問題なさそうだ。

ユジノサハリンスクについてやることは宿と、地図、両替所を探すこと。
取あえず宿を探してみるが全然見つからない。
みんなロシア語でかいてあるので、宿かどうかも分らない。
途方にくれていると、またまた親切なロシア人が夫婦で声をかけてきて、教えてくれた。
言葉は全く分らないが、なんとかなるものだ。
ホテルに行きロビーのカウンターで部屋を申し込むだけで15分もかかり、その上スイートしか開いてないとの事で、1万6千円以上とられ、後で気がついたのだが、釣りもよこさず1万8千円もとられた。
しかし、取あえず今日の宿は確保出来たのでよしとする。

翌日両替所をホテルの従業員から非常な苦労の末案内してもらうところまでこぎつけ、ドルをロシア通貨であるルーブルに両替成功。
この案内してくれた人もそうだが、ロシア人は凄く綺麗だ、街中みんな一流モデルが歩いているように見える。
(但し、40以上は皆太っている)
その時はロシア人ってすげー!っと思ったのだが、ロシア本土に渡ったところ、ユジノサハリンスクが別格だと言うことが分った。本土が悪いわけではないがサハリンのレベルが高すぎるのだと自分なりに感じている。

翌日地球の歩き方の地図に書いてあった書店に行き、本土に渡るフェリー港であるホルムスクまでの地図を手に入れる。
ホルムスクまで約90km、昼頃出発。

※ここで一言、サハリン上陸からホルムスクまで写真は一枚も無し、写真を撮る余裕も無い状態だったのだ。
言葉が全く通じない状態はある程度想定していたものの、町中の看板が殆ど全てキルリ文字で、おまけに店の窓が少なく、大きな店でも一般家庭の玄関のドア程度で、何の店なのか全然判らないのだ。
わけの分らない情報の中にポツンと立たされた状況だ。
その上、かなり治安が悪いようで、防犯対策設備が目立つ、常に何処かで自動車の防犯ベルが鳴っている。


ユジノサハリンスクを出ると、ホルムスクまでは道なりだったので3時間程度到着(途中から雨だったりして遅れる)
到着したのは良いがフェリー乗り場が分らない。
それらしい建物に入っていき、違うといわれたりしながら何とか辿りつく。
しかしそこは、後で分ったのだが、一般乗客が乗るターミナルで、バイクなどは別に手続するところがある。
それはそのターミナルから500mほど西に行ったところの建屋の2階にあり、絶対分らない場所だ。
そのため、これから行く予定の人は、まずターミナルを探し、そこで車両でフェリーに乗りたいのでそのオフィスまで案内して欲しいとのことをなんとか伝えることだ。
一番スムーズなのはあらかじめその文章を用意しておき、それを見せれば簡単だ。

これがその建屋、二階にオフィスがある。写真左の先に車両入構ゲートがある。
IMGP4326.jpg

22:00に出航予定なので、21時にここに来るよう言われる。
何もする事が無いので、近くでひたすら5時間ねばる、その間、初食料品店に挑戦、水と食料(パイだった)をゲット。
21時に行ったところ、まだかかりそうなんで、オフィスコーヒーや菓子をご馳走になる。一人英語が話せたので、多少会話が出来る。
結局24:00、2時間遅れて出航 船室は2人部屋で、相棒は大きなロシア人、この人に寝具、食堂、やり方をおそわり、ロシア語講座も開講してもらった スパシーバ。

左が世話になったロシア人
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ロシア本土が見えてきたが、ワニノまではあと3時間
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ワニノ港下船 17:40頃
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船からバイクにまたがり走り出す、港から出るゲートで止められ、なんかを見せろと言う。
持っている証書を色々出したが、それではないらしく、遂にはバイクからおろされ、呼ばれた港湾警察みたいな人に詰め所の様な所まで連行される。
そこで、待っていたら、学生のような若者がやってきて、片言ながら日本語を話す。
何しに着たとか、家は何処とか世間話のようなことを聞かれ、最後に「あなたは、荷物の証明書がないので拿捕されました」と言ふ。えー!だ、ダホー、ってえことは俺は抑留されるのか?
っと思った矢先、あなたはここからバイクの所まで一人で帰ることが出来ますか?っときた。
結局拿捕と言ふのは、日本語の間違いだったようだ。こちらは荷物の証明書など最初から貰ってないので、船会社でもバイク程度は問題としていなかったのだろう。
まずは目出度く釈放となる。

町へ出たらもう20時ぐらい。
宿を探さがすために、街中をうろうろしていると、クラクションがなり車が止まった。
30代と思われる男が出てきて、うちに来いと言ふ。
特に悪い奴ではないようなんで、お世話になることに決定。
車についていくと2分ぐらいで家だ。
おふくろさんが庭の畑からお出迎えしてくれた。
しばらくすると、奥さんが子供二人をつれて帰ってきた。
良いカンジの家庭だ。

彼の名はアンディ、日本が好きらしく、いちど来日したことがあるとのこと。
バイクを洗車させてもらい、その後ワニノの街を案内され、明日の予定ルートであるハバロフスクへ向かう道の入口まで行き教えてもらう、帰宅ごシャワー、夕食と、至れり尽くせりのもてなしをうけ、電話で日本の我家ともはなさせてもらう。

ワニノ見学のため、愛車ランクルに乗り込むアンディ
DSC_0172.jpg



朝、彼は7:00に出勤。俺は丁重にお礼を言って8時に出発した。 
ここからの地図がまったくないのと、携帯電話のシムカードを購入する事を思い出し、昨日の内にアンディの力を借りれば良かったと後悔。

取あえず地図を探しに街を迷っていたら、またまた親切な親父が案内してくれ、ハバロフスクまでの街道の入口まで案内してもらう。
ここは、昨日アンディに案内してもらったのだが、説明するのが大変だったんで、お礼を言って分かれた。
別れ間際にシールをもらう、内容はバイカーズクラブのシールだ。
なるほど、バイク仲間だったようだ。

近くにあるガソリンスタンドで、初給油。
戸惑いながらも、満タンゲット。
ユーラシア大陸の旅が始まる。
およそ600km先のハバロフスク目ざし、ジェベルは走り出した。


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しばし休憩、いざ出発!

一時帰国
ご苦労様。
カメラはよく写っている模様。
腕より感覚で勝負。
これからの撮影に期待。
まずは現地の人達の情に感謝感謝。
ありがたい。
引き続きの走行マイペースで行ってほしい。

こちらのガンは必ず治す。腫瘍マーカーは基準値以下良好。

ではイザイザ、追い風に期待。

山梨から

国際地図に先生の足跡を記録しています。

無事に退職証明書を受領し、晴れて個人行動になったと思います、今日は8月12日です今は
どこを移動されていますか・・無事に一日一日を過ごせますように!

Re: 山梨から

ブログ遅くて御免。
なんとかモンゴルまでは出来たんで見てちょーだい。
プロフィール

損師

Author:損師
今年(2011年) 58歳になる親父です。
ただ今、バイクによるユーラシア大陸横断を計画中。

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