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来たぞモンゴル

ロシアとの国境を越えて、なんとかモンゴルへ突入。

ここからウランバートルまでほぼ一本道。
ウランバートルでは大仕事が待っている。

7月27日に そこの空港から一時帰国するのだ。
理由は、7月31日に会社に出社し、退職辞令を受け取るためだ。
つまり7月いっぱいは、まだ有給休暇中のサラリーマンなのだ。

キャンセルのきかない航空券をすでに予約してるので、絶対それまでにはウランバートルに着かなくてはならない。

それだけではない、帰国までにバイクを預かってくれる所も見つけなければならない。
勿論あてはない、言葉が通じないのでかなり難航するかも知れない。

幸い、このペースなら明日にはウランバートルに着く筈。
だとすると、帰国まで5日間あるので ま、なんとかなるだろう。

国境の手続で もう昼をとっくに過ぎている。
何処かで一泊しなければならない。

うらんからの情報では、ある程度走ると林が途切れるとのこと。
そのため早めににテントを張るつもりで走る。

しかし、雨雲が雷を背負って後ろから追いかけてくる。

ヒタスラ逃げるが、しつこくついて来る。
丁度100km走った所で、木が無くなり、景色が あのモンゴルの写真によく出てくるグリーンフィールドになる。

こうなったらしょうがないんで、走れるだけ走ることにする。

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しかし、いくら探しても、何処にも隠れる所が無い。
そこでフィールドをひとやま越えてその裏にテントを張る。
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7月22日
今日はいよいよウランバートルだ。
途中景色の良い所があったので、そこで朝食のパンを食う。
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そうしているとチャリダーが前方からやって来た。たしかポーランド人。
彼はこれからロシアへ行くそうだ、自分とは逆のコースだ。
そこで、モンゴル通貨を持ってないか聞くと、少しはあるとのことなんで、ロシア通貨1000ルーブルと両替してもらう。モンゴル通貨を持っていなかったので助かる。これでガソリンを入れられる。a6.jpg

ようやくウランバートルに到着。
予想以上の交通量だ。
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市内を回って宿を探すが、安全にバイクを駐車でき、安い所が見つからない。
しかたがないので、地球の歩き方に出ている駅前のホテルにするが45ドルと高い。
取り合えず2泊予約し、その間に安い宿を探すことにする。


7月23日
今日は、まずウランバートルの日本大使館に行く予定だ。
理由は、バイクで入国した際、パスポートに自動車マークのスタンプを押されたんで、バイクを置いて帰国できるのか不安、それを確認するためだ。

そして、そのついでにSIMを購入するための携帯電話ショップを教えてもらう。

それと  ”バイクを10日程度預かることは出来ますか、もし可能ならいくらですか?”  っとモンゴル語でノートに書いてもらうのだ。

バイクの預かり場所探しの件で色々悩んだ末、これをもって宿を回るのが一番効率的と考えたからだ。


朝、大使館に行くためにホテルから出た途端道に迷う。ウロウロしていたら、お巡りさんに止められる。

なんでも短い距離だが一方通行を逆走したらしい、廻りを見ても標識が良く分らない。
道路脇の見張小屋みたいな所に連れて行かれる。

その時、流暢に日本語を話すお兄さんに「どうした?」っと話しかけられる。
なんでも名古屋に3年居たらしい。
そのお兄さんが交渉をしてくれることになった。

そのお巡りが4万tg払えば許してやると言ふ。

しかし、俺はポーランド人に両替してもらった2万5千tgしか持っていないと話す。
したらなんと、持っている分で良いと言ふ。
そして、通訳のお兄さんが5千tg値引きに成功。

つまり、”その場でズバッと現金値引き”まるで、〇〇電気みたいだ。

しかし、そんないい加減な罰金ってあるんだろうか、どうせ自分の副収入になるのは明白だ。

御蔭で、大金2万tgも失ってしまった。
え、日本円でいくらって? 1200円ちょっとかなー(^^ゞ


通訳をかってでてくれたお兄さん、また日本に行ったら電話してくれるそうだ。
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その後、日本大使館はすぐに見つかる。
早速、パスポートの自動車マークの話をすると、これは単に陸から入国したと言ふ意味で、空から来ると飛行機のスタンプになるんで心配ないと言われ、一安心。

ついでにSIMを買うテレホンショップを教えてもらい、あと、例の「オートバイを預かって欲しい」意の文をモンゴル語で書いてもらう。勿論これらは大使館の仕事ではないのだが、快くやってくれた。

大使館を出て、モンゴル通貨が罰金で無くなってしまったので、まずは両替屋を探す。
地球の歩き方を見ながら、両替屋の近くまで行った時、たまたまゲストハウスを発見。

ダメもとで、早速ノートを見せて宿泊とバイクを預ける件を交渉したところなんとOK !

それもバイクの預かり金は10日で700円以下!
宿泊も、一泊で700円以下と言ふ驚異的なプライス。

それに、日本人が一人宿泊している。
旅行中の学生で英語が普通に話せるので、通訳してもらい、スムーズに交渉終了。

明日からの予約を入れ、両替をして、テレフォンショップに行ったら、日本語が話せるきれいなお姉さんがいて、首尾よくSimをゲットし、ホテルに戻る。

ようやく俺にもツキが廻って来たようだ。

これがそのゲストハウス、柵の中に駐車場があり、バイクも安心だ。
このゲストハウスは地球の歩き方に乗ってなく、ネットで探したが出てこないんで、ドミトリーなら大体空いているようだ。
ゲストハウスの名前も良く分らないが、多分ナチュラルセンターゲストハウスかも。
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最初PUBゲストハウスだと思っていたが、一階フロアにパブがあったんで違うみたいだ。



右がゲストハウス先住者のひろし(敬称は要らないとのこと) 左がその後入居した(忘れた)?君 二人には大変世話になりました。
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7月24日
ホテルからゲストハウスに引っ越す。



ひろしがツアーの申込に行くと言ふのでつき合わせてもらう。

格安のツアーを紹介する所があるとのこと、これはラッキーかも。

モンゴルで乗馬をするのが夢で、そのために事前に日本で乗馬を少し習っておいたのだ。

行ってみるとなんとホンゴルゲストハウス。ここは俺が宿泊を断られた所だ。
英語しか通じないんで、ひろしに明日の1Day乗馬ツアーを申し込んでもらう。

ウランバートルから数十キロ北東に行った所にあるテレルジ。
その手前にある保護区の観光と乗馬で、価格はたしか41USドル、これは安い。
一日遊んで3千円チョットしかしない。

ひろしはゴビ砂漠ツアーを狙っているようだ。

その帰り道、彼と食堂に寄ってみる。

モンゴルの食堂の入り方とか分らないので、一人だとどうしても敬遠してしまう。これはチャンスだ。

ひろしは流石旅慣れているようで、ソツなく注文していく。
俺もサラダを頼んでみたが思ったより量が多く、縮んだ胃袋にはキツイ、これで200円ぐらいだから安い。

彼はピロシキを二枚食べて100円しなかったが、中国からモンゴルに入ったのでこれでも高いと感じるらしい。


その後、別れてウランバートルを少し見学するが、この街に来て一番驚いたのが車の交通マナーだ。
日本では考えられないほど、皆 運転が荒い。

車で道路に入る時は走っている車がいても相手がブレーキをかけるのを計算して脇から飛び出す。
当然怒ってクラクションを鳴らされるがお構いなしだ。

しかし、それがここでは普通のことなのだ。

その証拠に車のクラクションの音が街から鳴り止むことはなかった。
更に驚いたのは、その車が飛び交う6車線道路を、家族連れが渡っていくのだ。

これがその写真だ
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車は渋滞で止まっているのではない、ゴーゴー走っている状態である。
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これでも不思議なことに、交通事故には滅多に遭遇しない。
交通マナーがいい加減な分、それに対する自己防衛のスキルが磨かれるのではないかと思う。
そうだとすると、日本のように交通マナーが整備された所は、逆にその防衛スキルが錆びれている可能性がある。

チョット、脱線するが、昔、交通戦争とか交通地獄とか言われ、多大な犠牲者が出た時代があった。
しかしその後、事故の上昇率も減少した。
その理由は交通ルール、マナーが行き渡ったためであろう。
しかし、もしかしてそのまま放っておいても、勝手に減少したかもしれない。

当時の事故多発の原因は、自動車の普及速度に、自己防衛のスキルアップ速度が、追いつけなかった為ではないだろうか。
もしそうなら、モンゴル人のように、スキルレベルが追いついた時点で、事故が減少するはずだ。

危険だと感じる行為を普通にこなし、なんで事故にならないんだろうと考えるとそんな気がしてくる。
多分、日本人が、歩行者、車ともに同じ事を皆はじめたとしたら事故の山ができるだろう。



7月25日
今日は乗馬体験ツアーと言ふ事で、朝ホンゴルゲストハウスに行く。

6人のツアーで、フランス女性一人といろんな国の男性5人と言ふグループである。

最初は少し話すが、言葉が通じないのはやはり面倒なので、自然と会話はなくなる。
予定より1時間遅れて出発、ま、日本じゃないからね。


ウランバートルから一時間半ぐらい走った所で目的地に着いたようだ。

場所は良く分らないが保護区らしい、きれいな所だ。

皆さんしばらく散歩したところ(俺は寝ていた)で、ゲルに入って羊の煮込みみたいなのを頂く。
旨いが羊が苦手な人は辛いかも、フランスのお姉さんは辛そうであった。
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その後待ちに待った乗馬である。

モンゴルの馬は全体的に小柄で上下運動が少なく非常に乗りやすい。
乗馬初心者の俺でも楽に乗ることが出来る。

しかし、この馬は頭がよく、いつもの決まったルートをキッチリ歩こうとする。

それでは面白くないので、無理やりルートから外させようとタズナを引張る。

馬と意地の張り合いをしていると係りの男の子から注意されたのでしばらくは静かに乗っているが、それでは意味がないんで、また馬に静かに戦いを挑む。

しばらく抵抗していた馬が根負けしたらしく、ある程度素直に従うようになった。

これが調教と言ふやつだろか、それとも虐待?

そんな訳で自分だけ走ったり、他に行ったりする。
馬も割と素直に従うので先ほどのように注意されることもなくなったようだ。
 
モンゴルの草原を馬で駆ける爽快さは病みつきになりそうである。

他の人は多分乗馬は初体験らしくただ決められた道をゆっくりあるくだけであった。

やはり多少なりとも事前に練習してると楽しさが全く違う。
これだけは練習しておいて正解だったかも
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流石、保護区なかなかの景色 左に見えるのが有名な亀石
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子供は皆、馬がチャリ代わり
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亀石のアップ
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7月26日
日本一時帰国の前日 明日の出発準備を一通り済ませ、ウランバートルを歩いてみる。
食堂に入ってみる。
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メニューを見ても何も分らないので600TG 約40円を注文したら、ピロシキみたいなやつだった。
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ロシアと違い、看板に英語があるので大変有り難し。(青い看板が両替所)
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7月27日
チンギスハーン空港までバス(約30円)で行き、そこから経由地韓国へ飛ぶ
パスポート一つで難なく審査をを通過する。
翌日昼過ぎ秋田空港へ到着、機を出た途端、むし暑さがここは日本だと教えてくれる。
空港まで迎えにきてくれたワイフと虎徹に感謝、20日程度留守にしただけだが、我が郷土がどこか違って見える。
多分生涯で一番長い7月になるだろう。


取り合えず、此処までがモンゴル前編です。

                       つづく


追伸
後編は、まさにチャレンジと呼ぶに相応しい内容になると思う。
 
                           




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いよいよユーラシア大陸スタート

※明日はモンゴルに戻る日なんで、一気に書き下ろしましたんで、誤字脱字は許してくれm(__)m

7/12 ワニノからハバロフスクを目指し出発。
最初の60km程度は舗装だがあちこちに穴があり、ハマったらコケそうなんで、避けながら走行する。
その後は未舗装路が80km程度つづく山越え路だ。
未舗装というだけで、特に悪路ではないが、まれにある工事区間が短いが走りにくい。

写真は土砂崩れの除去作業のよう。車は皆、焦らずのんびり待っている。日本のようにイライラしないのだ。
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山越えの後はハバロフスクまで舗装路、
初野宿、回りを確認し、ε=ε=ε=┌(;゚д゚)┘ササッと脇道に入る。
本日の走行距離360km 明日はハバロフスクだ。

情報どおりやはり蚊が多い。用意したネット帽子は大正解
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7/13 昼頃ハバロフスクに到着、大きな都市だ。
ジュプヘゲン村郊外で殺害された仲間の現場位置を聞くために、日本領事館をたずねる。
地球の歩き方の地図ではたしかにここのはずが、無い。
困っていると、必ず出てくる助け舟、ロシア人ってなんと親切。
ロシアのライダー ユーリさんから先導してもらいたどり着くことが出来た。
場所は殆ど正解なのだが、入口が別の通りから入るので、分らないところにあった。
早速、領事館の方に現場のことを聞くが、よく分らないとのことであった。
これなら、もっとしっかり日本で確認すればよかったと反省。
行けば分るかもしれない、っとその場はあきらめる。

ナイスガイのユーリ氏
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それからである、そのロシア人のユーリさんから、これからワイフと食事の予定があるが、一緒にどうだとご招待されたのでお邪魔でなかったら、とのってみる。

奥さんは教師とのことで、英語が話せるのである程度の会話が出来、うれしい。
ボルシチや色々美味しい料理をご馳走して頂き、恐縮 

良い感じのカップルだね
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その後、ユーリさんにたのみ、携帯のシムカードを買いに付き合ってもらった。
安いノキアの携帯は日本で買っておいたので、現地のプリペイドシムを手に入れれば、現地の携帯になり、電話料金が格安になるのだ(国際電話のやり方しだいだが)。
シムカード購入手続がが全く分らなかった俺にとっては本当に有難い。
おかげでやり方はほぼ把握できた。
やり方は、街のテレフォンショップをなんとか探し出し(大きな町にはいっぱいあるようだ)金とパスポートがあれば、向こうでやってくれる。
その際、プリペイドのバランス(料金補充)も一緒にやってもらう。(後で追加など方法がわからないので)
ただこれを全身で表現するのだ(笑)
ロシア語ではシムカードのことをシムガルタと言ふ、バランスはそのままバランスで使えそうだった。
あとは気合だ。

ホテルまで案内してもらい、名詞に困ったことがあったらここに連絡しろと書き残し、彼は去っていった。

ホテルから望むハバロフスク 本日の走行250km
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7/14 朝ハバロフスク出発 道路の案内板にチタまでの表示がある、街をでたところで確か2200kmぐらい。
この看板がチタまで、各所に設置されており、走行のはげみになる。

チタまで1757km
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本日の走行510km
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グリーンのフィールドはジャガイモ畑 先がみえない
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この看板の青文字がコーヒー(食堂)とやっと解読成功。で、勇気を出して初めて入る
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食べ方はカウンターで最初にメニューを見て注文し、お金を払いテーブルで待つ。
食事後食器を片付ける必要は無し。
メニューには写真とかなかったので、ボルシ(ボルシチ)と言うとわかってくれた。
食料の物価は安く、一食100円前後だ。


ガソリンは、給油ホースのところに停め、窓口に行き、ポールニー(満タン)と言って、多めに料金を払い、自分で給油し、終了後窓口で釣りをもらう。お金がたりなければ、その料金分で給油は止まるので窓口に行く必要は無い(領収書が欲しければ別)
もちろん最初に10リットルと宣言してその分の料金を支払ってしまえば、給油後窓口に行く必要な無い。

窓口は鉄格子で厳重に防犯されている
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チタまで1000km
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7/15 本日の走行700km  寝場所探しでバイクは泥んこ状態。
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7/16 たまらず川でバイク洗浄
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草原地帯に入り、寝場所がない
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7/16 本日の走行 695km ようやく、林を見つける
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ようやくチタの街が見えてきた
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毎回のことだが、本当に宿探しに苦労する。
街をヒタスラうろうろする。
するとでた! 待ってました救世主ライダー!
バイクの安全なホテルへ案内してもらった。いつもながらロシア人には頭が上がらない。

チタのナイスガイ
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7/17 本日の走行270km ホテルからの風景つばめ何多い、これで夜の10時頃
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7/18いよいよ殺害現場を通る日だ。
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シベリア鉄道を望む
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現場に近づくにつれ風雨が強くなり、おまけに予定より50kmも早く燃料が予備に切り替わる。
その中、それらしき道があったので入ったが、どうやら外れ、引き換え増と方向転換中に初立ちゴケで、必死でバイクを起こすが腰に効く。
遂に捜索を諦め、ガソリンスタンドまでハラハラで走り、なんとか60km程度行った所で辿りつく。
供養したかったのだが、あまりの状況の悪さ、何かあるのだろうか。
いずれにしても、残念だ。

7/18 現場から100km程度行った所  本日の走行410km
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一面の蕎麦畑
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ウランウデに到着 ここは以前うらんが泊まったホテルで 座標を残してくれた御蔭で、ホテル探しの苦労から開放される。
ただ、一泊1200ルーブルとかなり値上げされている。
7/19 本日の走行280km 
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このホテルは非常に良いロケーションで、近くに市場があり、見学だけでもうれしい。
ホテルに1泊し、パイカル湖に行き、ウランウデをそのまま通過してモンゴルに向かう予定であったが、色々計算すると、ホテルに2泊したほうがベストな選択だとわかる。
うらんもここに2泊している、伊達に世界を2度も回っていない。
これからも参考にさせてもらおう。

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ホテルの近くの店だが何の店か分らない、全ての街がこんな感じ
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7/20 ウランウデから170km、バイカル湖畔に到着 対岸が飛島から庄内平野を望むような感じで微かに見えるDSC_0358.jpg

生バイカルを見れたことで感動していると、近くのロシア人がこれを食えと鱒の燻製を持ってきてくれた。
かなりデカイ、流石に半分ちょいで限界。
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こんどは別のロシア人が来て色々話しかけるが、全く言葉が通じない。
しかし、なぜか意気投合不思議なもんだ。
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そして奥さんを連れてきた。一緒にテントで食事しない?っと言われたが、鱒で十分になっていたのでことわる。
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このグループが鱒を頂いたナイスガイ、手前の壷には鱒の塩漬けが満タンだった。釣れるんだろうね。
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ウランウデに戻り、丘から街を望む
7/20 本日の走行350km
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7/21 朝8:00頃 モンゴル国境に向け出発
途中道に迷いながらも国境の検問所に到着
手続も何も全然分らないが、行くしかない。
パスポートを見せ第一ゲートを通過。
出獄審査を受ける
それが終わると次の建屋で税関検査でロシア側終了。

ほっとする間もなく、モンゴル側建屋で入国審査
その次に別のモンゴル側建屋で税関審査

結局、3時間ぐらいかかり、無事通過

これでなんとかモンゴル入国となった。
その間、自分のやったことは、関係ありそうな書類をありったけ提出し、あっちへ行け、こっちへ来い、ここにサインと言ふ按配に言われたとおりうろうろするだけであった。
でも結局はそれでなんとかなるのだ。

いよいよモンゴル編だが、これは次回帰国まで無理かもね(^^)v

ユーラシア大陸 序章

何とか予定通り7月28日帰国する事が出来た。
道中、ブログ更新出来るつもりでいたが、自分のレベルではそこまでの余裕がなく、心配をかけてしまった。
単なる10行程度のブログでも、自分の場合そうとう時間を要するんで、別の作業を優先してしまうのです。
だもんで、これからも多分移動中は更新は無理だと思うんで、そんなもんだと考えてもらうとありがたし。

今回の帰国中にまとめて更新する予定なのだが、なかなか出来ない。
その間、あらゆる方面から早く更新しろとの声があり、ようやくの更新開始です。
申し訳なし。


2012.7.4 酒田出発

 出発準備完了
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分らないことがあまりにも多く、不安な旅だが、心配ばかりしていては何処にも行けない。
取りあえず前に進むのだ。自分に言い聞かせ、妻と虎徹に見送られ、スロットルを捻った。
エンジンは快調だが、前輪が偏心しており、フロントタイヤがぶれるのが気にかかる。
タイヤを替えたばかりなので、走っていれば馴染んでくるはずと思っていたのでかまわずに走る。
しかし、青森まで走っても治らない。
どうも予想が外れたようだ。
友人の話では、原因はタイヤ交換時ビードの滑りが足りないから起こる現象で、これはバイク屋の話だから間違いないとのこと。
しかし、交換したときの感じからイマイチ納得出来ず、バイク屋と対決してきた自分としては、意地でもみとめたくねぇと言ふ頑固な気持ちがあったのだが、これからのことを考えるとそんなことは言ってられない。
敗北気分でしかたなく、弘前でレッドバロンで調整してもらう。
しかし、レッドバロンでも色々やったがうまくいかない。
結局、タイヤ自体が問題のようだ。
これを聞いて気分は複雑、治らないのは困るが、俺が困るレベルはやはり本職も大変なのだ。
っと自尊心を回復した気分。
しかし、流石プロ、ちから技で無理やり合わせ、ウエイトバランスを取ってかなりブレを抑える事に成功。
7000円もとられたが、まぁしかたなし。
タイヤがミシュランなんで、捨てるのは勿体ないものね。
出だしからこんな感じで先が思いやられる(特にフロントタイヤはパンクしないでくれ)



青函連絡船で北海道に渡り、日本海の海岸線をなぞりながら北上し、8.7に稚内に到着
日通稚内支店に行き、バイクの輸出手続準備をする。

前回冬季訪問時の写真と同じ場所から撮影してみました。


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当日フェリーターミナルに出航2時間前に行き、バイクから荷物を全部降ろし、ハートランドフェリーのカウンターで、乗船手続(予約してあるので、切符を貰うだけ)を行い、手荷物(バイクに積んでた荷物)を預け、外に置いてあるバイクをフェリーの岸壁まで運び、そこでバイクの出国審査が行われ(エンジン、車体番号の確認とバイクの帰国方法(あくまでも予定)を質問され、終了後自分でバイクをフェリーに運び、その後歩いてもとのターミナルに戻り、一般客と同様に、出国審査、税関審査を行い、乗船となる。

いよいよ7.9.10:00 稚内港をコルサコフに向け、出航
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コルサコフ港につくと、バイクの入国審査が船内で行われたが、想像以上に物々しい、怖い顔をしたロシア審査官と総勢6名程度で書類を見ながらロシア語であれこれ質問するのだ。
それも、今回の船には車両で乗り込んだのは自分だけで、期待した仲間はだれもいない。
無論こちらは業者に対応を頼んでいるので、その人が中に入ってやってくれる。
これは自分だけでは絶対無理だと感じる。
色々な書面にサインをして、無事終了、ほっとする。

日本時間16:00 現時時間18:00頃サハリン コルサコフ港に到着
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フェリー下船後岸壁からバイクを下ろし、ターミナルまで乗客用のバスについて行く。
これは、特例だそうで、本来バスに乗ってターミナルまで行き、入国審査終了後にバイクを取りに船まで戻ってこなければならないらしい。
船からターミナルまでは800mぐらいありかなり道が悪い、途中、海岸を見ると野犬らしき群れがいた。
ターミナルと言っても古いたてもので外見を見ても判らない程度のものだがやることは通常の入国手続とかわらないようだ。

バイクに荷物を積込み、今晩宿泊予定のサハリン第一の都市ユジノサハリンスクに向けていざ出発!
っと、即車に衝突しそうになる。
あ、ここは右側通行だった。
これが最初のヒヤリだが、これから何度も経験する事になる。
コルサコフから出る道が分らないが、幸い唯一日本語が話せる方が、乗客にいて、これからタクシーでそっちに行くとのことなので、ついていく事にする。
走って5分ぐらい下ところで、後ろの車からクラクションで停止させられる。
何だと思ったら、バイクから紐がひらひらしていると言ふ。
それを直してくれて、頑張れと握手して去っていった。
このときが初スパシーバ(有難う)その後無限に言うことになる言葉だ、ロシア人には非常に面倒見が良い人がいっぱいいるのだ。
しかし、タクシーとははぐれてしまったが、あとは一本道なので問題なさそうだ。

ユジノサハリンスクについてやることは宿と、地図、両替所を探すこと。
取あえず宿を探してみるが全然見つからない。
みんなロシア語でかいてあるので、宿かどうかも分らない。
途方にくれていると、またまた親切なロシア人が夫婦で声をかけてきて、教えてくれた。
言葉は全く分らないが、なんとかなるものだ。
ホテルに行きロビーのカウンターで部屋を申し込むだけで15分もかかり、その上スイートしか開いてないとの事で、1万6千円以上とられ、後で気がついたのだが、釣りもよこさず1万8千円もとられた。
しかし、取あえず今日の宿は確保出来たのでよしとする。

翌日両替所をホテルの従業員から非常な苦労の末案内してもらうところまでこぎつけ、ドルをロシア通貨であるルーブルに両替成功。
この案内してくれた人もそうだが、ロシア人は凄く綺麗だ、街中みんな一流モデルが歩いているように見える。
(但し、40以上は皆太っている)
その時はロシア人ってすげー!っと思ったのだが、ロシア本土に渡ったところ、ユジノサハリンスクが別格だと言うことが分った。本土が悪いわけではないがサハリンのレベルが高すぎるのだと自分なりに感じている。

翌日地球の歩き方の地図に書いてあった書店に行き、本土に渡るフェリー港であるホルムスクまでの地図を手に入れる。
ホルムスクまで約90km、昼頃出発。

※ここで一言、サハリン上陸からホルムスクまで写真は一枚も無し、写真を撮る余裕も無い状態だったのだ。
言葉が全く通じない状態はある程度想定していたものの、町中の看板が殆ど全てキルリ文字で、おまけに店の窓が少なく、大きな店でも一般家庭の玄関のドア程度で、何の店なのか全然判らないのだ。
わけの分らない情報の中にポツンと立たされた状況だ。
その上、かなり治安が悪いようで、防犯対策設備が目立つ、常に何処かで自動車の防犯ベルが鳴っている。


ユジノサハリンスクを出ると、ホルムスクまでは道なりだったので3時間程度到着(途中から雨だったりして遅れる)
到着したのは良いがフェリー乗り場が分らない。
それらしい建物に入っていき、違うといわれたりしながら何とか辿りつく。
しかしそこは、後で分ったのだが、一般乗客が乗るターミナルで、バイクなどは別に手続するところがある。
それはそのターミナルから500mほど西に行ったところの建屋の2階にあり、絶対分らない場所だ。
そのため、これから行く予定の人は、まずターミナルを探し、そこで車両でフェリーに乗りたいのでそのオフィスまで案内して欲しいとのことをなんとか伝えることだ。
一番スムーズなのはあらかじめその文章を用意しておき、それを見せれば簡単だ。

これがその建屋、二階にオフィスがある。写真左の先に車両入構ゲートがある。
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22:00に出航予定なので、21時にここに来るよう言われる。
何もする事が無いので、近くでひたすら5時間ねばる、その間、初食料品店に挑戦、水と食料(パイだった)をゲット。
21時に行ったところ、まだかかりそうなんで、オフィスコーヒーや菓子をご馳走になる。一人英語が話せたので、多少会話が出来る。
結局24:00、2時間遅れて出航 船室は2人部屋で、相棒は大きなロシア人、この人に寝具、食堂、やり方をおそわり、ロシア語講座も開講してもらった スパシーバ。

左が世話になったロシア人
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ロシア本土が見えてきたが、ワニノまではあと3時間
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ワニノ港下船 17:40頃
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船からバイクにまたがり走り出す、港から出るゲートで止められ、なんかを見せろと言う。
持っている証書を色々出したが、それではないらしく、遂にはバイクからおろされ、呼ばれた港湾警察みたいな人に詰め所の様な所まで連行される。
そこで、待っていたら、学生のような若者がやってきて、片言ながら日本語を話す。
何しに着たとか、家は何処とか世間話のようなことを聞かれ、最後に「あなたは、荷物の証明書がないので拿捕されました」と言ふ。えー!だ、ダホー、ってえことは俺は抑留されるのか?
っと思った矢先、あなたはここからバイクの所まで一人で帰ることが出来ますか?っときた。
結局拿捕と言ふのは、日本語の間違いだったようだ。こちらは荷物の証明書など最初から貰ってないので、船会社でもバイク程度は問題としていなかったのだろう。
まずは目出度く釈放となる。

町へ出たらもう20時ぐらい。
宿を探さがすために、街中をうろうろしていると、クラクションがなり車が止まった。
30代と思われる男が出てきて、うちに来いと言ふ。
特に悪い奴ではないようなんで、お世話になることに決定。
車についていくと2分ぐらいで家だ。
おふくろさんが庭の畑からお出迎えしてくれた。
しばらくすると、奥さんが子供二人をつれて帰ってきた。
良いカンジの家庭だ。

彼の名はアンディ、日本が好きらしく、いちど来日したことがあるとのこと。
バイクを洗車させてもらい、その後ワニノの街を案内され、明日の予定ルートであるハバロフスクへ向かう道の入口まで行き教えてもらう、帰宅ごシャワー、夕食と、至れり尽くせりのもてなしをうけ、電話で日本の我家ともはなさせてもらう。

ワニノ見学のため、愛車ランクルに乗り込むアンディ
DSC_0172.jpg



朝、彼は7:00に出勤。俺は丁重にお礼を言って8時に出発した。 
ここからの地図がまったくないのと、携帯電話のシムカードを購入する事を思い出し、昨日の内にアンディの力を借りれば良かったと後悔。

取あえず地図を探しに街を迷っていたら、またまた親切な親父が案内してくれ、ハバロフスクまでの街道の入口まで案内してもらう。
ここは、昨日アンディに案内してもらったのだが、説明するのが大変だったんで、お礼を言って分かれた。
別れ間際にシールをもらう、内容はバイカーズクラブのシールだ。
なるほど、バイク仲間だったようだ。

近くにあるガソリンスタンドで、初給油。
戸惑いながらも、満タンゲット。
ユーラシア大陸の旅が始まる。
およそ600km先のハバロフスク目ざし、ジェベルは走り出した。


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損師

Author:損師
今年(2011年) 58歳になる親父です。
ただ今、バイクによるユーラシア大陸横断を計画中。

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