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いよいよ欧州!

8月24日

国境にたどり着き、国境の手続きに入る。

なんとか無事手続き終了。

しかし暑い、このライダースーツを着て、長蛇の列をノロノロと進み、時折休息してんじゃねぇの?と思えるようなゆっくりした仕事に3時間、良く耐えたもんだ。

入国手続きを待っている時、両替屋が寄って来た。

ウクライナの通貨をぜんぜん持ってなかったんで、ロシア1000ルーブル両替。
230ウクライナ通貨になる、通貨の名前は最後まで不明(後で調べたらフリヴニャ)
このレートからするとウクライナの通貨は、円の約10倍ちょいだ。

まずはこれでなんとかガソリンは確保できる。


いよいよウクライナの首都、キエフにハンドルを向ける。

とにかく、何処まで行っても同じ景色のロシアの道路からようやく離れるのだ。

―――――でも、今のところ道はロシアとこれと言った変化なし。

昨日ほどではないが、相変わらずジェベルは調子が悪い。
どうも温度が上昇すると調子がおかしくなるようだ。
そのためか、朝は割と調子が良く、昼になると不調になる。

!‥‥‥そこで閃いた。

これって、このエンジンの異音が原因ではないんじゃねぇの?

いままで不調は、全て異音のせいにしてきたが、原因はひとつじゃないのでは?
そう考えると、上記の状態は、燃料が濃すぎて起こる現象に似ている。

とすれば最初に考えられるのは、エアクリーナーの詰まりだ。

考えてみれば、モンゴルの砂塵の中を走破したのに、クリーナーは替えていない。
幸い、予備のエアクリーナーはある。

だが、エアクリーナーがいくら汚れたからと言って、ここまでエンジンが不調になった経験は無い。
ホントにそうなんだろか。

ジェベルを道の脇に寄せて、期待と不安の中、エアクリーナーを交換作業にはいる。


‥‥頼む復活してくれ、と祈る気持ちでエンジンを始動、走行開始。

―――― おおっ! 明らかに加速が違う。

なんか、車体から憑き物が落ちたような感じだ。

エンジンの異音はまだ変わりはないが、画期的にパワーは復活!
これで悩みの半分は解消した。

やった! 切れかけていたポルトガル ロカ岬、その道が再び繋がった。

軽くなったジェベルに乗り、気持ちも軽い。



キエフまで200kmのところで道脇の林でキャンプ。

ここで問題、テントで残金総額を確認したらドルとルーブル合わせて15万円ぐらいしかない。

あとは、ビザカードがあるが、上限5万円しか使えないうえに使い方が分らない。
また、ルーブルはロシアから遠ざかるにつれて両替が出来なくなる可能性がある。
そうなったらガチでヤバイ。

しかし、首尾よく両替し、キエフでバイク屋が見つかったとしても、この残金ではオーバーホールは無理だろう。
でも、エンジンの状態から見て、大事に使えばなんとかなると思う、いや思いたい。

ただ、チェーンはもうすぐ限界となる。

毎日チェーン調整しているが、もう伸びしろがない。
後一週間程度で調整不能となる。
キエフでチェーン交換か、1駒詰めは必ずやらなければならないのだ。
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8月25日

ウクライナの首都キエフに到達、大きな川がある綺麗な都だ。
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バイクショップを探すが全く見つからない。
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駐車係員にバイク屋がないか聞いたら、側にあるピザ屋のお兄さんが来て、後5分待てばバイクに詳しい奴が来るので待てとのこと。
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なかなか来ないのでピザを食べて待っていたら、20分ほどでやって来た。

バイク屋の人かと思ったら、この兄さんもピザ屋のあんちゃんだ。
先のあんちゃんにチェーンの話をしていたので、チェーンのテンション調整をするつもりだったらしい。

状況を把握すると、早速バイク屋に連絡してくれたようだ。

10分程待ってくれと言われ、30分待つとやって来た。
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やって来たのは、なんとギターを背負ったこのネエチャン!

最初訳が分らなかったが、どうやらこの人がバイク屋まで案内してくれるらしい。

せっかくのチャンスなんで、ビザカードでのキャッシングにATMまで付き合ってもらう。
5万円分のウクライナ通貨を引き出そうとしたらダメで焦ったが、4万円分にしたら成功!
これで総額19万円相当となり、気持ちに余裕ができる。

彼女がバイク屋に確認したところ、チェーンは9000円とのこと。
バイクの尻について10分ぐらい走るとなかなか立派なバイク屋に着いた。
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お礼を言って彼女と別れる。

チェーン交換作業を見ているが、素人みたいな手つきで不安になる。
なんとか、完了し、請求が13800円となる。
確か、9000円ではと言うと、チェーンが11000円で、残りが工賃だとのこと。
工賃はしかたないが、やはりぼられた感があるがしかたがない。

そう言ふ輩は、相手と一歩間合いをとるような、共通した雰囲気を持っていることを学習する。
ま、でもチェーンは新しくなったのでよかった。
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彼女から聞いた安いホテルの場所に行ってみたが、分らない。

仕方がないのと、経費節約のため、町を出てキャンプすることにする。

あと一つロシアを出てから家と連絡が取れていない。
ロシアでは携帯が通じたのだが、ウクライナではまた別のSMMカードが必要なのだ。
テレフォンショップに行って見たが俺の携帯に合うカードはないとのこと。
家では心配しているのではと思うが仕方がない、明日次の都市リヴィウでなんとかしよう。

しかし、キエフ市内で驚異的に役に立ったのがGPS だ。
いままでは、街の出口を探すのが一苦労だったのが、ウクライナに入って、ナビソフトが使えるようになり、何の苦労もなく出口まで案内してくれる。
これからは道探しで、苦労することはほとんど無くなる筈だ。

キエフを過ぎて30km程行った道路脇の林でキャンプ。
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8月26日
500km走り古都リヴィウへ到着
ここも美しい街だ。
ここでやらなければならない事は二つ。
一つは家への連絡、あと一つはロシア通貨の両替。ロシア通貨はロシアからはなれると両替出来なくなるかもしれないんで早めにやりたい。

日本への連絡だが、ここのテレフォンショップで何とかプリペイドSIMMを手に入れ、連絡する事が出来ホッとする。
但し3分程度で1000円ぐらいしたんで焦る。
しばらくは音信不通になるかも知れないと連絡したのでこれでよし。

両替の方は今日は日曜日で銀行は休みのため出来ず。

ゲストハウスを地球の歩き方で探したが、バイク駐車は無理そうなんで、今日もキャンプしかない。

リヴィウの出口をGPS で確認していた時、「日本人ですか?」っと話かけられる。


もしかして、この一言が今回の旅最大のターニングポイントだったかも知れない。

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片言の日本語を話す男が現れた。
話してみると、ポルトガルから来たらしい。
俺も、ポルトガルが目的の地だと話す。
すると、自分はポルトガルのエボラと言ふ街で、ゲストハウスをやっているとのこと。

そこまでたどり着いたら是非寄ってくれと、住所を教えてくれた。
今迄の経験で、実際にその住所に辿りつくことは困難だと分っているが、とりあえずお礼を言う。

んじゃまたっと挨拶し、走り始めるが、街の出口がまだハッキリしていないのに気づき、20メートル程走った所で、一旦停止。

再度GPSを覗いていると、後ろから声がする。
振り向くと、例のポルトガル人だ。

今日はどうすんだ?っと聞かれる。

街を出たら、キャンプするつもりだと答えたら、だったらうちに来ないかとのこと。
一寸躊躇したが、特にあやしそうでもないので、お世話になることにする。
明日は月曜日、ここにいれば銀行も開くので両替も出来るはず、ありがたい。

彼のねぐらは、バイクだと2分もしないところにあった。

中庭に抜ける通路を潜ると駐車場があり、パイクも安全っぽいところだ。
部屋のドアを開けると、最近流行のルームシェアふうで、エントランスがリビングになっていて、その奥に各部屋のドアがあり、彼の部屋は2段ベッドが二つある4人部屋で、そこに一人で住んでいる。

この先に彼の宿がある
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少し突っ込んで聞いてみると、名前はルイスさん。彼は旅行者で、長期休暇をとり、月貸しのアパートを一ヶ月の予定で借りているらしい。
家賃はなんと2万円もしないらしい。
旅なれるとそんなところを探せるのだ。
それとWifi が使えるので、家ともゆっくり連絡がとれる。

彼の経営するゲストハウスのホームページも確認できたので、現地まで行ければ門を叩くことは出来るだろう。

久しぶりのシャワーを頂き、さっぱりしたところで、夕食をご馳走になりながら話をしていると、日本人夫婦の友達がポルトガルに住んでいるとのこと。

もしかして話せるかも知れないと、スカイプを開いたらなんと繋がったのだ。

話の成り行きで、向こうにたどり着いたらお邪魔することになった。

うーん、なんと言ふめぐり合わせだろう。
いままで、ゴールはただ行くだけのもんでしかなかったが、なんか道の向こうが明るくなったような気がする。


8月27日

朝起きると雨。
甘えついでにもう一泊とめてくれ、と言ったら快く了解してくれた。
これでゆっくり両替に取り組める。



二人で昼食の買い出しに出かける
こんなゆったりした気分は何日ぶりだろう。

近くの市場
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昼食はルイスさんが作った料理を頂く。
特に鳥もも肉のガーリックローストが最高だ。
それと家から持ってきたと言うワインが美味い。

ガーリックローストのレシピは簡単だったので、教わる。
今でもポルトガル文化は渡来するのだ。


午後から両替所を探し、人にも助けられ、ようやく両替成功。
取りあえずは、これでロシア通貨をユーロ通貨に処分することができた。

USドルも1000ドル程、手数料の安い銀行で両替しようとしたら、直接ユーロに替えられなかったので、一旦ドルをウクライナ通貨にしてから、ユーロにすると言ふ、効率の悪い両替をしたが、しかたなし。
さあて、これでゆっくりできるぞ。

折角なんでリヴィウ観光することにした。
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ウクライナでも駐車違反は厳しいようだ。
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彼が恩人のルイス氏
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この城壁の中にパブがある。
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これがそのパブの入口
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欧州中世の雰囲気で、拷問椅子が飾られている、まさか本物?
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ここでルイス氏と飲み食いしたが二人で2千円一寸と超安い。
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8月28日
早朝、世話になったルイスさんと別れ宿を出発。

500mも走らないうちに後からきたパトカーが前を塞ぎ、若い警官が下りてきてパトカーに乗れと厳しい顔で言う。
ありゃ、なんか違反したようだ。
ドキドキしながら助手席に乗る。
運転席にはブルースウイルス風のおっさんがいる。
で、息が酒臭いか確認して、昨日酒を飲んだかと言う。

飲んだと言うと、それは違反だと言う。

俺は確かに酒は飲んだが次の日に残るほどは飲んでないと話す。

すると、この国は酒の量に関係なく、酒を飲んだ次の日は運転しては駄目なのだと言う。

この辺で、あ、これはタカリだわ、っと分ったが、あとのまつり。最初から分っていたらコトバガワカリマシェーンと徹底的にねばるのだが。

なんやかんやあって、300ドルだせば見逃してやるときた。
それは高い100ドルに負けろっと言ふ。

結局それで成立。

100ドルを渡そうとすると、焦って見えないようにそこに置けと言われる。
車を出る時にっこり笑って握手し、グッドラックと言われる。

出頭するつもりで粘ったら、何とかなったと思うが。ここでゴタゴタしたくないんで終了させたがくやしー(>_<)

こう書くと言葉が通じたように見えるが、実際は相手は英語も話せない奴で、全く言葉が通じなかったが、なんとかわかるのが不思議。

ま、悪徳警官と遭遇したのも旅のだいじな経験。気を取り直して270km先にあるハンガリーとの国境を目指す。

途中カルパティア山脈を抜ける。どんな山脈かと思っていたら、なんと我が郷土奥羽山脈に、くりそつ。
建物が洋風なのを除けば日本をツーリングしている気分。
しばらく平野ばかり走ってたんで、カーブを曲がるのがぎこちない。


国境の手前のガソリンスタンドで給油する。
そこに両替所があったので、残ったウクライナ通貨と50ドルをハンガリーの通貨フォリントに両替。
これで、ハンガリー通貨は、手持一万円分ちょい。ま、こんだけあればハンガリーを通過できるだろう。

昼前に国境に到着。
やはりここも長い順番待ちだ。

ここで、ジェベルのナンバープレートが違うと指摘され、焦って日本ナンバーの上に国際ナンバーを重ねて取り付ける。
思えばよく今まで、日本のナンバーで通ったもんだ。

ウクライナ側を抜け、ハンガリー側の手続きに入る。
ここで感じたのは、明らかに今までと職員の態度が違うことだ。
なんかちゃんとしている。

とくに、ウクライナ側がいい加減で態度も悪かったんで、実にストイックに見える。
勿論日本のレベルではないが、ちょっと安心する。

結局3~4時間かけて国境を通過する。

ハンガリーで気がかりなことは、ビンゲータと言ふ期間限定高速道路の料金切符を買ってないと、高速道路只乗りで捕まるらしいのだ。

ここいらの高速道路の料金システムは、ビンゲータで運営している。
そのため、高速道路には料金所は必要ないんで、大幅な経費節減となる。
だが、当然タダ乗りも多くなる筈だ。

これは、ルイス氏が教えてくれたことだ。
彼は高速道路でパトカーから2度も提示を求められたと言ふ。

いままで高速道路がなかったが、これからは高速道路を走る機会が多くなるようなんでビンゲータを入手しなくてはならない。

国境付近の道路で売っていると言っていたが、元販売していたらしき建屋を見つけただけでわからない。

走っていると早速、高速道路のインターに遭遇。

地図を見ても下道らしきものがないため、高速に乗るしかないようだ。
ジェベルの異音は徐々にあがっているんで、60km/hは出せない。
俺にとって高速道路は怖いだけで何のメリットもないのだが。

不安な気持ちで次の目的地、ハンガリーの首都ブタペストに向かう。

しばらく走ったところにサービスエリアがあったので、そこの駐車場でビンゲータの事を聞いたら、ここで売っていると言ふので早速行ってみる。

店員にビンゲータが欲しいと話すと、いろいろ聞かれる。
当然何を言っているのか分らないんで、しばらくゴタゴタする。

結局、ビンゲータとは通常の切符みたいにただ販売する物ではなくて、車体番号等を登録した証明書みたいなものであった。
おそらく、使いまわしを防止するためだろう。

料金は約700円、ゲっ、高い。しかし、しかたがなし。

SA建屋の外に出て、ガソリンスタンドを見たとき戦慄が走る。
一リットル200円以上するのだ!

しまった。もっとハンガリー通貨に両替しておけばよかった。

一万円でハンガリーを抜けられるのだろうか?
それからは燃費節約のため、50km/hで走る。

こええ!脇を猛スピードで車が追い越していく。

怖さに負けて、路肩の白線のちょっと外を走っていたら、ネズミ捕りに遭遇。

パトカーに先導され詰め所につれていかれ、パスポートと国際免許証を持っていかれる。

建屋のなかで確認作業をしているようだ。

5分で書類は返され、路肩は寄り過ぎないようにといわれ、放免される。

やはり、今迄の国と違い警官はとても紳士的だ。
しかし、ピンゲータのことはゼンゼン話に出なかったのはショック。もしかしてバイクはそんなに気にしてないのかも。

高速道路に戻り、走りながらねぐらになりそうな所を探しながら走る。
インターを降り近くの林でキャンプ。
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8月30日
早朝暗い中ブタペストに向けて出発。
50km/hで走るので、なかなか進まない中、ようやくブタペストに入る。

とても綺麗な街だ。

とくに市内を大きな川が流れていて、その景色に思わず  おーっと声が出る。

気になったんで後で調べてみると、なんとドナウ川であった。
ボルガ川然り、やはり名のある川って心に残るのかも。

市内を素通りしスタンドで給油。200km余り先にあるオーストリア首都ウイーンに向かう。
経費節約のため、メシは我慢。オーストリアからは通貨はユーロなんでもうすぐだ。


100kmを越したあたりで、国境がある筈なんで興味津々で走る。
もうヨーロッパなんで国境での入出国手続きはないのだが、では国境ってどうなってんだろう。

国境に来て納得。今までのように国境には手続する建屋があるが、それは以前使っていた名残だ。
道路はその建屋を左手にみながらそのまま通過する。
これでハンガリー通貨圏内を無事脱出。

ウイーンは、市内を通らず郊外を迷いながら何とか抜ける。

次の目標は300km先にあるザルツブルグだ。

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流石に首都の高速はかなりエンジンに負荷がかかり、一段と異音がアップしてきた。
まずはリンツ手前で高速を降り、林でキャンプし、今後の作戦を練る。
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徐々に高くなってくるジェベルの異音。
こうなると、壊れるのが先かGOALが先かサスペンスの世界。

作戦としては、やはり徹底的に無駄を省き最短のコースをとることだ。

しかし、折角ここまで来たのだからせめて憧れのスイスで、アルプスを見てみたいものだ。

キャンプした林の村
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8月31日
高速に戻り、どのコースを取るかどうしても決まらないままザルツブルグ郊外を通過し、ドイツに入る。
ドイツに入ってしばらくしたら、前の車が駐車スペースに入り、止まれの札を出す。
覆面なのか、よく分らないので無視してそのまま走る。

しばらくすると、追いかけてきて前に入り、ルーフにパトライトを乗せて先導され、脇道で停車。

警察手帳を見せられ、ハンガリーの時と同じように、パスポートや国際免許で確認照会され、放免。
やはり、キッチリした警官であった。やはり、ヨーロッパは今までと違いまともだ。

ドイツは一時的に通過で、ミュンヘン手前からまたオーストリアに入る。

インスブルックのサービスエリアでルートで悩む。
ここから道は二つに分かれている。

そのまま行けば150kmでスイス。

南に行くとアルプスの端を越えてイタリア。

写真のねえちゃん方に相談すると、彼女らもこれからスペインに帰る所で、そちらに行くんだったらイタリアに南下するべきとのこと。

やはり安全を考え、ここはスイスを諦める。
いずれ、ゆっくり奥方と観光で来ることにしよう。
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地図でルートを教えてくれたカップル。
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オーストリアはとてもきれいな国だが、酪農が中心らしく、オーガニック臭がキツイ。

これがインスブルック 画像拡大可
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いよいよアルプス越え。オーストリアともお別れだ。
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アルプス越えからはずーっと雨。
イタリアに入り、キャンプするところを探しに高速道路から降りて、下道をヒタスラ走るが、テントを張るところなど全くない。
まるで日本の国道を走りながらキャンプ出来そうなところを探しているようなもんだ。
こうなったら徹夜で走ってやると居直る。

目指すはイタリア地中海。

すっかり日が暮れる。
少しでも近道しようと、土砂降りの中ガルダ湖と言ふ湖の湖畔を走る。
この湖は約60kmあったが、ずーっとリゾートでムード満点なロケーション。
流石はイタリアだ。

湖を過ぎ、高速道路に乗り海を目指す。
ようやく雨が止み、パーキングでバイクの脇にそのまま転がり、2時間程度仮眠をとる。

9月1日
ひたすら走り、夜明けにようやく地中海が目の前に開ける。

ここはジェノバから15km西の港だ。
早朝、港町のセルフスタンドで給油するがやり方がわからず、入れた金が出てこない。
何とかしようと言ふパワーも無く、次のスタンドを探し給油。
店員が近所の人とチャオっと挨拶しているのを聞いて、ああイタリアなんだっと初めて感じる。

高速道路に戻りフランスを目指す。高速なので、良い撮影ロケーションが無い。
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ニースを横目にフランスに入る
この木はよくゴッホの絵に出てくる木でねえの?
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プロヴァンスを抜けたあたりの大きなパーキングでキャンプ
ここにこっそりテントを張る。
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9月2日

そろそろフランスもおしまいなんでサービスエリアで食事。
これで1300円ぐらいしたので、びっくりだ。
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猛烈な向かい風の中、スペインに入る。
ここまで来ると、無理と思っていたゴールが見えてきたぞ。

バロセロナを通過する。せめてサクラダファミリアぐらいは見たかったが、これは観光じゃねぇんだと我慢して、そのまま内陸に入り、首都マドリードを目指す。

相変わらずテントを張るようなところは無いんで、パーキングに無理やりテントを張る。
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このアーチがグリニッジ子午線らしい。
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スペイン内陸は殆ど砂漠で、時たま町があってそこだけ緑がある。
多分地下水があるのだろう。
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スペインはガソリンが安いんで助かる。
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マドリードを通り過ぎ、ねぐらを探しウロウロし、ようやくオリーブ畑でキャンプ

9月2日
ポルトガル目指しヒタスラ西に向かう

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ここまで来ると、ようやく心に余裕が出てくる。
常に付きまとうジェベルの状態も、さほど気にならなくなってきた。
そこで、道路から見えたお城を見学する。
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途中で遭遇したトマトの刈り取り、流石にダイナミックだ。
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とうとうポルトガルに入った。ルイス氏のゲストハウスのあるエボラにたどり着く。
エボラは非常に古い町らしく、城壁の中に街がある。
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ゲストハウスを探すが見つからず焦るが何とか発見。

あんだけ念入りに調べておいたのにこれでは、ロシア等で分らなかったのも無理はなし。

なんとそのゲストハウスではルイスさんはまだ旅行から戻ってないとのことだ。

でも、連絡はもらっているということで宿に連れて行ってもらう。
これがしばらく世話になる部屋だ。下はスナックになっているが今はやっていないので、俺一人だ。
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9月3日
朝、ルイスさんの彼女が車で迎えに来た。
今日は、ウクライナでルイスさんから紹介してもらった日本人夫妻に
彼女が連れて行ってくれることになっている。

夫妻は近くに住んでいると言ふ。
なんか、ちょっと緊張しながらジェベルで車について行く。

30分程行った村に夫妻はいた。

とても明るい感じの良い村で、二人はそれにきれいに溶け込んでいる。
こんな地の果てで日本人と出会うってのも浪漫か。

久しく日本語を話していなかったせいか、話が止まらない。
食事までご馳走になる。まさかお茶や味噌汁が飲めるとは思わなかった。
その上、赤飯、漬物、寿司やカツオのたたきまであるのには参った。

世界の果てで一人じゃないっと感じられる贅沢。旅でこれ以上のもんはないかも知れねぇ。
とにかく感謝。

宿に帰ってネットで帰りの飛行機の予約を取る。
出発は9月11日のがあったんでそれに決定。
リスボンからスイス、成田経由庄内空港行きで11万700円。
ジェベルは、送るのも大変なんで、世話になったルイスさんに譲るつもりだ。

9月4日
今日はいよいよゴール。ロカ岬アタックの日。
岬は、ここエボラからおよそ150km。
余裕の距離なので、ゆっくり走る。

ここで一休み。日本では見ない木の林だが、これがなんとコルクの木。記念に撮影。
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これがアップ写真、この皮がコルクなのだ。
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リスボン入口にある超長い橋。10kmぐらいある。
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リスボンに入る
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向こうに見えるのがロカ岬の灯台
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いよいよ灯台
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遂にやった! でも一人万歳は、なんか決まらん(^^ゞ
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ロカ岬のモニュメント たしか、「ここで地終わり、海始まる」見たいな事が書かれているらしい。
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ここで、ユーラシア大陸最西端到達証明書を販売している。
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証明書ゲット
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ここまでの走行距離。出発時10000km。
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これで、ユーラシア大陸チャレンジ編は終了。

英語も話せない男が初めて目にしたユーラシア大陸。それでも何とか端まで来ることが出来た。

ま、いろいろあったが結果的には成功ってことでよろしくです。




この場を借りてお礼を言いたい。

やはりなんと言っても頑張ったのはジェベル。
呻きながらもゴールまで引っ張ってくれた。
きれいに洗って、次のオーナーにかわいがってもらおう。

それから、縁の下で支えてくれた奥様ヒタスラ感謝。
次のミッションは家族で南日本の旅だ。

あと、応援してくれた皆さんに感謝。
一人ぼっちで走っていても、皆が応援してくれてると思うと力が出ました。

それに、こんだけの期間、根負けせずに最後まで見届けてくれてありがとう(^^ゞ



最後に
このチャレンジに賛同、協力して頂いた
株式会社ラフアンドロードスポーツ殿
株式会社モンベル殿
お礼を申し上げます。
ありがとうございました。



おまけで、以後、帰国までの数日間の写真を掲載します。


帰りにストアに寄り買い物。これで4百円ちょい。 チョー安い。
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エボラの教会にある人骨堂。壁が4000体の人骨で造られている。拡大可
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ローマ時代からあると言ふ水道橋
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大変世話になった高橋夫妻
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お城の麓にブドウ畑が広がる。日本で葡萄と言ふと、棚に葡萄のつるが絡んでるのを想像するのだが、見ての通りこちらのは一本一本木が縦に並んでるのだ。
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近くの町の市場見学に連れて行ってもらう。テーブルにあるビールはマーケットで40円程度。
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仕事をリタイヤし、のんびり暮らす爺さん達と。
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高橋夫妻の村にあるバイククラブ。 クラブのTシャツをプレゼントしてもらう。
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バイク好きが集まって作ったクラブハウスらしい。
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俺の落書き
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村の闘牛場。 暴れ牛がいる柵でガキどもが普通に遊んでいる。
今の日本では絶対考えられない。
牛が突進して来ると慣れたもんで、皆パッと逃げる。
日本ならそんな場所に絶対入れないし、入ったガキは即やられるだろうね。
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大陸横断成功の打ち上げをしてくれた高橋夫妻とルイス氏
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祭りでジェベルを一時展示。
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お祭りの最後は村の喉自慢がポルトガル民謡「ファド」を歌う。これがなんとも哀愁がある。
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エボラにて数日間休養させてもらい、ルイス氏に空港まで送ってもらい、9月11日朝リスボンから空路で帰ったのでありました。


最後に、ここでちょっとポルトガルについて
ちょこっと通っただけでどの国が良いかなんて解かる筈がないが、やはりこの国はいいと思う。
理由は、とても明るい国だ。聞いたことはないが太陽の国と言う名前がピッタリくる感じがする。
あと、物価が安い。日本の7割程度だ。
それなのに物は豊富にある。
ある程度、纏まった期間住んでみたい国だ。



追伸

旅の参考になるかどうかわからないが、ユーラシアを目指すライダーのために、気づいたことを載せておく。
興味の無い方にはクソ面白くない筈なのでアシカラズ。


ジェベルのポルトガルでの名義変更について。
要は、バイクを売却できるかということ。
結果から言って問題なかった。
実際にはルイス氏がやったのだが、国際ナンバーと登録証と自分のサインのある申請用紙があれば現地の陸運局?みたいな所で名義変更ができた。(申請用紙って何が書いてあるか良く分らなかったが取り合えずサインした)。

国際ナンバーと登録証は日本では必要ないので現地に残しても問題ない。

日本での廃車手続だが、通常通りで、日本ナンバーと軽自動車届出済証で普通に廃車できた。

但し、カルネの保証金を払っている人は損すると思う。
俺の場合はルートがカルネが不用だったのでカルネは取っていない。



外国ツーリングの適正排気量について
今回の旅の反省点として単車の排気量が250CCでは小さいことだ。
何故かと言ふと、一般公道の最高速度が何処も90km/h以上だからだ。
大陸の果てしない直線道路の60km/hは徐行に近いんで、ツーリングと言ふより我慢走行となり、楽しくもない。
更にそこを普通車は皆、100km/h以上、大型トラックも全部すっ飛んでいくんでかなり危険だ。
オフロード時は特に問題ないが、オンロードはそんな感じだ。
取り合えず、ユーラシアの一般道路は日本の高速道路と同等と考え、車種を選択するのが良いと思う。


タイヤの選択について
約2万キロの走行では、タイヤ交換は必要なかった。
減りの少ないミシュランのモタード系のタイヤだったのも良かったかも知れない。
モンゴルのオフロードではブロックパターンがベストだが、減りが早いし、このタイヤでも問題なかった。
だが、流石に雨天時は厳しかった。が、走れないことはなかった。


スピード違反の取り締まりについて
兎に角ユーラシアはネズミ捕りが多い。
特にロシアだけでも15箇所ぐらい見たような気がする、測定方法は日本とは違いハンドガンが殆ど。
勿論、ジェベルは一度も捉まっていない、逆に遅すぎて捉まりそうだ(笑)
多分共産圏だと捉まったら賄賂の口実になるんではないかと思うのだが、ワカラナイ。


気候について
俺が走った時期については、日本に比べて格段に雨量は少なかった。
特にフランスからは一度も雨に遭遇しなかった。
それまでで、イヤになるほどの雨天日は延べ5日程度。
気温の差はかなりあり、ロシアでは朝10度、昼30度オーバーと言うのもあった。
夕立はロシア、モンゴルでは3日に一度以上遭遇した。


国境の手続について
国境の手続は、通過のための書類(ドキュメントと言ふ)が揃っていれば通れる筈だ。
例え、全く言葉が通じなくても、ゴタゴタしても結局はなんとかなるんで、深く心配する必要なし。
気をつけることは、そこで貰った書類等は無くさず全部とっておくことだ。
いらない紙もある筈だが、提出を求められたら全部出せばそこから相手が選んでくれる。
用紙に記入する時は、出きるだけ頑張って書いて提出するのだが、足りないところは仕方ないので、抜こうで指示してくれるか、書いてくれる。


交換パーツについて
結局ジェベル君はノートラブルだったんで、交換したのは、エンジンオイル、オイルストレーナー、チェーン、エアクリーナーだけ。
チェーンには毎朝欠かさずオイル補給。チェーンは初めは伸びないが、伸び始めると見る見る伸びてきた。
だが、スプロケットはまだまだ使える状態、まめに給油とテンション調整さえすれば4万キロは楽に使える筈だ。
しかし、チェーンは外国でも入手できるるんで、スプロケだけ持って行ったが、ユーラシアだけならスプロケはいらないと思う、なんってったって重いし。
エンジンオイルはジェベルの異音もあるんで、毎3000kmで交換。
オイルはバイク用のは普通のスタンドや車屋で売ってないんで、車用のを使用。
車用のオイルはクラッチが滑りやすいと言われるが、ゼンゼン問題なかった。


キャリヤ(荷台)等について
ジェベルのキャリヤは折れやすいと定評がある。
商用車の荷台並に使うとじきに折れる。
今回は、R&R社の布製のザイドバックとリヤバッグを使用したが、これだと半分以上シート側に加重がかかるので、全く大丈夫だった。
ただし、座るところが狭くなったが我慢だ、長距離が窮屈でも思ったほど気にならなかった。
それから、左側のサイドバッグはシッカリ調整しないとスプロケット部のチェーンに触れて破れるんで、日本での準備段階で、チェーンに触れないような簡単なガードを付ける等の加工をしたほうが良い。


地図について
ロシアの地図とその近隣国の地図は普通、現地でないと手に入らない。
地図探しにはかなり苦労したが、一番役に立ったのは、地球の歩き方に乗っているマップと、それに乗っている書店の位置。これには助けられた、あとロシアはキヲスクでも売っている場合があった。
出来ればナビソフトは日本で入手しておきたい。向こうだと書店を探すより難しい。
(ナビ本体も現地買えば簡単かも知れないが)
とにかく、道探しで一番大変だったのは本編で何度も書いている通り、町を通過するときだ。
町は入口は一つで出口は無数にあり、その中の一つを選択する作業となる。
道を聞く場合、3人に聞くと、大概一人は間違っているので注意。
大陸で一寸道を間違うだけで四十~五十キロは簡単に無駄になる。




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ロシア再訪


申し訳なし m(__)m
{言い訳} 現在次のイベントの国内の旅準備が進まず、そちらの方を優先していたんですごく遅くなりました。
各方面より、さっさと書けと怒られまして、正月を利用して焦って書いています。

当初、次回は一気に掲載するつもしでしたが、取り合えずロシア後編を載せます。
最終編はもうすぐ出来ますんで、ご容赦の程よろしく御願いします。m(__)m m(__)m



8月15日
昨日無事国境を越え再びロシアへ入国成功。

国境の町タシャンタにはワニノで紹介されたナディア嬢がいるので、携帯で電話を試みる。
ナディアさんは日本語が少し話せるのでなんとかなるはず。

しかし、国内電話は初めて、電話の仕方が分らず、なかなか通じない。

失敗を繰り返し、なんとか通じたが出た相手はおばさんの声で、ナディアさんではない。
このおばさんはロシア語しか話せないようで、全く話が通じない。
ナディアさんは外出していていないのか、間違い電話なのかも判らない。
どうする事も出来ず、スパシーバと言って電話を切る。

これからのロシアルートが分らないので、マップやナビソフトの売っている場所とか知りたかったが残念。
だがこの先500kmぐらい行った所にある町、ビースクにもスラワーさんと言ふフレンドを紹介してもらっていたんで、今度はそちらの方に電話してみる。

ラッキーにも本人に通じた。

‥ラッキーと思ったのもつかの間、会話が全然通じない。
スラワーさんも前回同様ロシア語しか分らないようだ。

会話が全く通じない者同士が電話で話すとやはり全く分らない、諦め適当にお礼を言って電話を切る。

これで両方全滅、なまじ期待した分落ち込みが大きい。
これ以後、このての期待は一切しないようにしている。
万一当たればラッキー程度に考えるのが吉。

‥気持ちを切り替え、ハンドルをノボシビルスクに向ける。

しかし、ロシア本土の上陸から、こんなに走ったのに、最終の地ポルトガルまでの道のりは、1/3過ぎたばかり。

だが、いくら遠くても所詮は舗装道路。

モンゴルを完走したことが、俺にとって絶対的な自信を与えてくれる。

国境近くのロシア村人
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アルタイ山脈から西サヤン山脈へと移っていく。 拡大可
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景色のよい渓谷がつづく、リゾート地になっているようだが、時々雨が降るので雨雲を越えた先での野営をめざすが、なかなかキャンプする場所が見つからない。

ようやく川辺に良い所を見つける。

8月16日
キャンプ地を出発 ここにテントを張ったのだ
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変化の無い景色をヒタスラ走り、ノボシビルスクの60km手前でキャンプ
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8月17日

キャンプを出発し、ノボシビルスクに到着、かなり大きな町だ。

ロシアの大きな町には、決まって大きな川がある。
やはりここでも大きな橋を渡る。

市内は渋滞するほど車が多い、これからの地図を手に入れるため、ここで書店を探す。
書店の位置は、地球の歩き方に乗っている簡易地図だけが頼りだ。
大体ロシアでは書店を聞いても知らないのであてにできない。

市内を半日近く走り回り、ようやく地図を手に入れる。

出来ればナビソフトも欲しかったが、地図でこれだけ苦労したので諦める。

ま、今まで無くてもなんとかやってきたんで、これからもなんとかなるだろう。

早速地図を頼りに、町からの出口を探す。
毎度の事ながら、これが一番大変なのだ。
今回も幾度も迷いながら、なんとか出口にたどり着く。

ノボシビルスク市外で道を教えてくれたカップル
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オムスクまであと400km地点で、国道沿いの防風林裏でキャンプ
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8月18日
オムスクから国道M51をはなれ、チュメニ方向へハンドルを向ける。

何故かと言ふと、この先M51は一時的にカザフスタンを通過するんだが、俺のロシアビザでは一旦ロシアを出ると再入国出来ないからだ。
だもんで迂回ルートを通り、カザフスタンを出たM51に再度合流する予定だ。

???順調に走っていたジェベルだが、左エンジン側からわずかに異音がする。
ロシアに入ってからは、マックスで80km/hで走っていたのだが、心配なので60km/h以下で走行することにする。

オムスクから170km地点で、国道沿いの林でキャンプ
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8月19日

麦の刈り取り風景。ずーっと景色が普通すぎて、このぐらいしか撮るものがない。
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カザフスタン回避のため迂回し、ようやく国道M51と再会、しかし迂回ルートだけでも700km以上走ったことになる、流石大陸はダイナミックだ。

チェリャビンスク手前150kmぐらいの白樺の林でキャンプ、快適なロケーションだ。
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8月20日
チェリャビンスク市街を迷いながらなんとか通過、ウファからM7にルートを変更してモスクワに向かう予定であったがそのままM5の方が分りやすそうだったんで、そちらを選択。

モスクワまで1000kmを切った。
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サマーラを通過してしばらく走ったところで脇道に入り、キャンプ。
写真中央のへこみにテントを張ったのだ。
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8月21日
朝、起きると雨何降っていてなかなか止まない。
久しぶりにゆっくりルートを考える。
昨日サマーラから60km程行ったトリヤッチの街に入った際、炎天下の中ジェベルが目に見えてパワーダウンしていく。
どうも熱いのが影響しているようだ。
まめにエンジンオイルは交換しているのだが、オイルの汚れ具合等は問題なし。

これはバイクの寿命が近いのかも知れない、だとしたら出来るだけ無駄な走りは省こう。

結果、このままM5を進むよりも、モスクワに行かずにウクライナへの最短ルートを行くことに予定変更。

結局午後2時過ぎに出発。

ルート変更したため、キャンプ地からサマーラに少し戻り、P228をサラトフに向け南下する。 

‥‥‥えらくデカイ川に沿ってずっと走っているんで、取り合えず撮影。後で調べたらあのボルガの舟歌で有名なボルガ川だった。最後はカスピ海に注ぐのだ。
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サラトフでボルガ川と別れ、ヴォロネジに向かう。

途中夕立前線を何度か通過しながら走る。

ジェベルのエンジン音がだいぶ大きくなって来ているのが心配だ。
取り合えず防風林の裏にキャンプ。
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8月22日
早朝出発するが、かなりエンジンの異音が大きい、その上調子もイマイチだ。

このままでは、何時止まってもおかしくない状況だ。

ヴォロネジまではおよそ400km、サラトフに戻るとすれば100km。
そのまま進んで途中で止まったら最悪だし、戻ってもサラトフで修理するところがなければドツボだ。

うーん、悩んだあげくサラトフまで戻ることを決断。

2時間かけてもどり、サラトフ市内に入った途端、右から出てきた家族づれの車にドンと当てられ、転倒。

幸か不幸かたいしたことはなく、車のパパさんがいろいろ話しかけてくるが全然わからない。

どうやら、怪我はないか?とかバイクは壊れなかったか?とか言っているようなんだが、言葉に迫力があるので、どちらが被害者かわからない(笑)
金を出そうかと言われたが、特に怪我も無いので大丈夫と言って別れる。

街中をウロウロしながら修理できるところを聞きまわるが結局この町には無いらしい。

 ――――― こうなったら、そのままヴォロネジに向かうしかねぇ。

うーん、なんと言ふ判断ミス

引き返したところまで戻るだけで200km余計に走ることになる。
それも何時止まるか分からないマシンでだ。
朝、もしそのままヴォロネジに向かっていれば、あと300kmで到着で事故もなし(多分)。

でもこうなったら、選択は一つしかない、ヴォロネジ目指しこれから500km走るのだ頑張れジェベル。


仕切りなおして出発した途端、雨と強い向かい風だ。

キャンプしたところを横目で通過、天候は全然好転しないが、雨が降るとエンジンが落ち着くようだ。

ヴォロネジの手前200kmの町ボリソブレグスクまで来た時、なんとバイク屋を発見!

早速、エンジンの事を話したところ、治せないと言われ終了。

覚悟を決めて先へ進むが、町外れに宿を見つけ、今日はそこで一泊。

濡れた服を着替え、久しぶりのシャワーで一息。
しかし、シャワー水の味が濃い、大丈夫なんだろうか(^^ゞ

一泊500ルーブル、約1500円ぐらい。
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8月23日
昨日だいぶロスしたので、今日は暗いうちに宿を出発。

昨日と打って変わって空が青い。


道端で果物を売っているのだが、見た目たいしたことがないんで買わなかった。
しかし、あとで食べる機会あり、その美味さにショック!買ってれば良かったと深く反省。
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ヴォロネジは思ったよりかなり大きい町で、日本車のデイラーが目に付く。
スズキの店があれば最高なのだが、探すのは難しいのでそのまま通過し、200km先の町クルスクに向かう。

30度を越す気温の中、ジェベルを気遣いながら走る。

なんとかクルスクに到着するが、街の出口が分らない。
混雑する街中をウロウロしているとどんどんジェベルの調子が悪化していく。

町を出る時にはかなり煩くなり、休み休み走る。

なんとかウクライナ国境まであと100kmの所で白樺の林でキャンプ。

テントの中でこれからどうするか考える。

バイクがこの調子では、これから何千キロも走るのはとても無理だろう。

ウクライナの首都キエフまで行けばバイクの修理が出来るかもしれない。

しかし、キエフまであと400kmぐらい。
途中で止まったら言葉も分らず手の打ちようがない。

ここは、無理をせず旅を中止し、帰国しよう。

そう判断し、夜が明けたら引き返し、近くの町オリョールから飛行機に乗ることに決める。


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8月24日
朝、予定通り来た道を暗い気持ちで引き返す。

‥‥‥‥‥‥‥‥おゃ?

なんかジェベルの調子が良い。

音も静かである程度力もある。

これなら行けるのでは?
また迷う。

考えてみれば、昨日弱気になったお陰でやっちまった大失敗を、反省したばかりではないか。
そうだ、ここは強気で行かなくてはならん。

よしっ!ウクライナさ行くぞ!

バイクをUターンさせ、国境に進路を変更したのでありました。

この100km先にウクライナがあるのだ。               つづく
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弩等のモンゴル横断

昨日日本に居たと思ったら、今日はモンゴル。
世界を股に掛ける俺ってワイルドかも(笑)。
なんか自分でも、信じらんないところがある。

でも日本からウランバートルは簡単に行けた。
現在モンゴルでは、日本人観光客ならビザ無しサービス中(但し、滞在一ヶ月以内)。
パスポートさえ有れば、あとは飛行機の手配をするだけ。
当日、空港にパスポート一つ持って行くだけでモンゴルだ。
ビザが要らないとこんなに簡単、国内旅行に毛の生えた程度なのだ。
やはり大相撲で郷土力士の頑張りが効いているのかも知れない。
日本はうだる様な暑さだったが、こちらは気温が高いが、湿度が低いらしく、日陰にはいると涼しく、過ごしやすい。
日本人が相撲を奪還する前に、生モンゴルは如何でせうか。
あ、それだと当分ビザなしが続くかな~ ってが。

明日バイクの整備後、いよいよウランバートルをスタートする。
モンゴルの西端まで、およそ2000km程度の旅になりそうだ。

8月6日
出発が遅れて昼過ぎになる
ウランバートルを出た途端雨。
結局この雨は夕方まで止むことはなかった。
150kmほど走ったところから、幹線道路から外れてブルガンへ向け、北上する予定だ。
しかし、幹線道路をいくら走ってもそれらしい道路がない。
GPSを見ると30km前に通過しているようなので引返してみる。
GPSもガーミンワールドマップしかないため、かなりアバウトな表示となるが、モンゴルのローカルソフトが入手出来なかったのでしかたがない。
スタンドで聞いて、ようやくその道を探し出し、ホッとするもつかの間、かなりの悪路である。
幹線道路から外れるとは言へ、県道クラスの道の筈、それがこの状態では先が思いやられる、幹線道路ほどではなくても、それなりに整備されてても良いはず。
後になり、そう考ていた自分が、どんだけ甘かったか知ることになる。
なにせ、この先、幹線道路さえもこの道路より数段厳しい箇所はいくらでもあるのだ。


雨路。
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道がぬかる時は、草原を走る。
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夕方ようやく雨が止んだが、泥で滑りコケたので、ここでテントを張る
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8月7日
昨日とは打って変わって良い天気だ
自分が走ってきた道路を昨日から見ているのだが、まったくと言っていいほど交通量がない。
予定ではこの道をもう百数十キロ走らなければならないことになっているが、ほんとうにこの道路で良いのかどうも怪しい。
考えた末、ここは思い切って予定を変更し、30キロ程戻り、幹線道路の南廻りにコースをとることにする。


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幹線道路まで戻るとアスファルトを走れる。
しかし、それもあと200kmあるかどうか。
取り合えずアスファルト最後の町、アルベイキアーをめざす。
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バイクで馬追をしているので写真を撮ったら、
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そばに来た。
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羊毛を運ぶトラック自体が羊のようだ。
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途中、若者のバイクが故障している所に遭遇、バイクは中国製で、先ほどの馬追の車と同じのようだ。
この場面では助けざるを得ない。
幸いキャブ調整だけで即なおったんで、日本人の株があがったか(笑)
しかし、このレベルの故障は自分で修理出来ないと此処ではヤバイとおもうのだが。

残念ながら写真撮り忘れた。

アルベイキアーまで100km,前方に雷雲がいるんで今日はここまで。

右下に見えるのがテント。
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8月8日 今日もいい天気。

滅多にない案内板。
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アルベイキアーを通過、いよいよアスファルトが終わり、本当のモンゴルが始まる。
まずは、250km先の町、バヤンホンゴルにむかう。
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本当のモンゴルは直ぐにやってきた。
前から来た車がボンネットまで水に浸かってるのを見てビビる。
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幾重にも見える道路だが、実は一本道。これでも主要幹線道路なのだ。
こんな道がこれから1300km続くとは、この時点では知らない。
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途中寄ったゲルで歓迎される。
ネイティヴな人達は純粋で温かい。
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バヤンホンゴルに到着。
しかし、その出口が分らない。
街内で、80km先の村、ボンボゴルへの道を5回ぐらい聞くがハッキリしない。
取り合えずそれらしい道を走り出すがどうも怪しい。
町から10km出たところで夜になる、しかたがないので脇道でキャンプ。
テントの中でルートを確認するとやはり道を間違ったようだ。


8月9日
目が覚めると、近くに車が2台止まっている、テントをたたんで道を聞きに行って見ると、
やはりこの道ではないようなので、町まで引返し、ようやく正しい道を発見する。
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あんまり汚れているんで途中の川でやむなく洗車
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一本道の筈なのだが、ときに道幅が10km以上となり、遥か彼方の脇道を走っている車を見ると、道を間違ったのではと、不安になる。
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遂にコケる。低速なんで怪我は無いが、バイクが重くて起こせず、通りがかった車に手伝ってもらって起こす。
深い砂に足を取られたのがコケた原因だが、その前にこんな理由があった。
 
‥‥ぶっ続け走り続けたんで、体が休みたいと悲鳴をあげる。
 しかし、あと2kmで今日の走行予定の250km。
 せめてそこまでは我慢して走ろう。

と、完全に我慢することに気持ちが集中し、注意力がかなり低下いていたのだ。
我慢と無理は違うことがよく分った。
我慢はOK、無理はNGなのだ。
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カメラのフィルターがこうなった。幸い、他は無事。
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こけた場所のup。かなり深い砂だ。普通なら回避しているはず、反省。
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それから20km走り、270kmでキャンプ。



8月10日
今日はアルタイまで走る予定だ。夜明けと共に出発する
ここでテントを張ったのだが、写真を撮るのを忘れた。
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一見良さげな道路に見えるが、ここもかなりの波状路のため、車が全然通らない。
そのため、山羊がこんな感じでのんびり出来る。
車は下に見える脇の道を通る。
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本日の目的地アルタイに到着。
ここで、乾電池やパンをゲット。

ジェベルのタイヤ空気圧調整で立ち寄った修理工場
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アルタイの出口。次の目的地はホブド、到着は翌日の予定。
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‥‥‥周囲の景色や温度がどうも砂漠のような気がする。
地図を確認すると、思いっきりゴビ砂漠であった。

地図をろくに見なかった俺も悪いが、砂漠なんて走る予定がなかったのだがこれだ。
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とにかく暑い、いや熱い。走っていても熱風がくる。日陰で休みたいが、そんな物は皆無。
そのうえ、道路が思いっきり波状路や深砂。20~30km/hの徐行走行が150キロ以上つづく。
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廻りに少し緑がでてきた、砂漠の一番キツイところはなんとかクリアーしたようだ。
暗くなってきたんで此処でキャンプ、しかし、いくら峠は越したと言っても砂漠。
砂漠でキャンプ、理由は分らないが、なんか不安な気持ちがある。
そして、その不安が現実となった。

砂漠走行の疲れで、ぐっすり寝ていたところ突風が襲ってきた。
まさにドカンっと言ふ感じで0から一瞬で暴風に大気が変化!

外ではバイクが今にも倒れそうな音がするが、折れそうなテントの支柱を必死で支えているため、外に出ることが出来ない。

そこで、思い切って支柱を外して、テントを潰してみたところ、これが正解。
テントが潰れると風の抵抗が無くなるのと、中の荷物のおかげで外へ出てもテントが飛ばされることはなかった。

バイクを風にむけて負荷を減らした後、潰れたテントに寝袋のように頭だけ出して潜り込む。
取り合えず危機を脱してホッとしたのと、疲れからそのまま眠ってしまった。

‥‥‥‥‥‥‥‥なんかの物音、目を覚ます‥‥!。
途端ギョッとする、夜明け前の薄暗い中、1mも離れていない所に犬の頭が3個見える。

野犬だ!思わずテントの中に頭をそーっと潜らせる。
息を殺して、ヒタスラ耐える。

テント越しに耳元でフンフン犬が嗅いでいる。

生きた気持ちがしないが、このまま攻撃されたら、居直って思いっきり暴れるしかないな、とかバイクにある食料がやられるかもとか、考えながらじっと耐える。

‥‥どのくらいたったろうか、物音がしなくなり、しばらくしてからそーっと頭を出してみると犬はいなくなっていた。

バイクの食料も問題なさそうだ。

ホッとするが、いや参った、なんとも訳の分らない夜であった。

日が昇って気温が上がらないうちに砂漠を抜けたい。
そそくさと出発準備していると「モー!」っと牛らしい鳴き声がする。

何だと思って側にある小さな丘に登ってみると、なんとその下に10頭程度の牛の群れがいる。
多分先ほどの犬も野犬ではなく、そこの仲間であろう。
考えてみれば、こんなところでは野犬も生活できないだろう。


8月11日
テントをたたんでそそくさ出発、今日はホブドだ。
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ようやく砂漠を抜けたようだ、アルタイ山脈が迫ってきた。
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一休みしていると
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トラックの運ちゃんが話しかけてくる。
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どうやらアルタイ山脈の麓のようだ。
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車に道を聞いたらビールが出てきて「まあ飲め」。
バイクに跨ったままビール一気飲み。
これが日本だったら、重罪だが、この国では日本の昭和30年程度。
すっかり酔っ払い運転、これならいつ人をはねても不思議ではない‥‥筈だが
日本でマスコミが報道している内容とは俺の場合ちょっと現実は違うようだ。
ライディングがいつもより安定している。
いつもはいろんな不安を背負って走っているため、あれこれ考えすぎて運転に集中できない。
しかし、いまはそんな余計な不安は消えて運転に集中できるのだ。
つまり酒を飲んだ方が安全運転の場合もあることがよくわかった。
日本ではこれは、トンでもない反体制な言論なのだが、実際そうなんだから仕方が無い。

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前線の影響で、短時間にあらゆる天候を体感、途中強風でバッグのレインカバーが飛ばされた。
通常こんな場合何処かに、引っかかる物だが、此処はモンゴル、小さく小さく見えなくなるまで草原を転がっていった。

そんな体験をしつつ、ようやくホブドにたどり着く、なぜかきれいな街だ。
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ホブドで一番のホテルだが、風呂はもちろんシャワーもなし。
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ホテルのこの柵のドアを牛が鼻で勝手に開けて入ったのを見てタマゲル。

写真の場面はホテルの人に見つかってまた柵から追い出されたところ。
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8月12日
ホブドの出口が分らずウロウロしたがようやく発見、郊外にはゲルの集落があった。
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ここはホブドを出たばかりの地点、今日はモンゴル最後の町ウルギーを目指す。
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毎度御馴染みとなった川わたり。
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なんとかクリアしたがもう無いことを祈る。
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此処はアルタイ圏、高度が上昇していくにつれ、景色が変化していく。
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観光客狙いの鷹なんだが、こんな辺境な地には滅多に人はこない気がするのだが。
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この後すぐ雨が降り出し、ウルギーまでずっと雨路、滑る路面、ハンドルに力がはいる。

何とかコケずにウルギーに辿りつく、幸いホテルは割と早く見つかった。
結局この日は夜まで雨。明日はいよいよモンゴル国境越えの筈だったのだが、此処に連泊し、道路が乾くのを待つことにする。
以前すれ違ったライダーが、ウルギーから国境までのルートは難所で、ブロックタイヤでないとかなり厳しい、っと言っていたからだ。


8月13日
翌日は快晴、お陰で溜まった洗濯物がすっかりクリア、町からの出口も探し出し、出発準備完了。


8月14日
昨日に続いて快晴、おかげで道路はすっかり乾いている。
今日は、いよいよモンゴル国境越えだ。

昨日の内に調べておいた街の出口
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これが例の難所、峠のキツイ斜度をトラバースしながら下っていく、確かに雨天だと辛いはずだ。
しかし、難所はここだけで、あとは普通の悪路であった。
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国境近くで一休み、この景色も見納めか。
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ここが、モンゴル側の国境ゲート、11時頃まで開かなかった。

此処を通過して、山を越して数キロ走ると今度はロシアのゲートがある。
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これでモンゴル編終了。

この6日間は我がバイク人生において、最も過酷で辛い経験であったが、日が経つにつれ、その素晴らしさが見えてくる。いつかまた走りたいところだ。

やることが有り過ぎて、ブログが進まず申し訳なし。
次回はロシア、ヨーロッパ編を一気に掲載予定です。

が、またまたしばらく時間をちょーだいします(^^)v



来たぞモンゴル

ロシアとの国境を越えて、なんとかモンゴルへ突入。

ここからウランバートルまでほぼ一本道。
ウランバートルでは大仕事が待っている。

7月27日に そこの空港から一時帰国するのだ。
理由は、7月31日に会社に出社し、退職辞令を受け取るためだ。
つまり7月いっぱいは、まだ有給休暇中のサラリーマンなのだ。

キャンセルのきかない航空券をすでに予約してるので、絶対それまでにはウランバートルに着かなくてはならない。

それだけではない、帰国までにバイクを預かってくれる所も見つけなければならない。
勿論あてはない、言葉が通じないのでかなり難航するかも知れない。

幸い、このペースなら明日にはウランバートルに着く筈。
だとすると、帰国まで5日間あるので ま、なんとかなるだろう。

国境の手続で もう昼をとっくに過ぎている。
何処かで一泊しなければならない。

うらんからの情報では、ある程度走ると林が途切れるとのこと。
そのため早めににテントを張るつもりで走る。

しかし、雨雲が雷を背負って後ろから追いかけてくる。

ヒタスラ逃げるが、しつこくついて来る。
丁度100km走った所で、木が無くなり、景色が あのモンゴルの写真によく出てくるグリーンフィールドになる。

こうなったらしょうがないんで、走れるだけ走ることにする。

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しかし、いくら探しても、何処にも隠れる所が無い。
そこでフィールドをひとやま越えてその裏にテントを張る。
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7月22日
今日はいよいよウランバートルだ。
途中景色の良い所があったので、そこで朝食のパンを食う。
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そうしているとチャリダーが前方からやって来た。たしかポーランド人。
彼はこれからロシアへ行くそうだ、自分とは逆のコースだ。
そこで、モンゴル通貨を持ってないか聞くと、少しはあるとのことなんで、ロシア通貨1000ルーブルと両替してもらう。モンゴル通貨を持っていなかったので助かる。これでガソリンを入れられる。a6.jpg

ようやくウランバートルに到着。
予想以上の交通量だ。
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市内を回って宿を探すが、安全にバイクを駐車でき、安い所が見つからない。
しかたがないので、地球の歩き方に出ている駅前のホテルにするが45ドルと高い。
取り合えず2泊予約し、その間に安い宿を探すことにする。


7月23日
今日は、まずウランバートルの日本大使館に行く予定だ。
理由は、バイクで入国した際、パスポートに自動車マークのスタンプを押されたんで、バイクを置いて帰国できるのか不安、それを確認するためだ。

そして、そのついでにSIMを購入するための携帯電話ショップを教えてもらう。

それと  ”バイクを10日程度預かることは出来ますか、もし可能ならいくらですか?”  っとモンゴル語でノートに書いてもらうのだ。

バイクの預かり場所探しの件で色々悩んだ末、これをもって宿を回るのが一番効率的と考えたからだ。


朝、大使館に行くためにホテルから出た途端道に迷う。ウロウロしていたら、お巡りさんに止められる。

なんでも短い距離だが一方通行を逆走したらしい、廻りを見ても標識が良く分らない。
道路脇の見張小屋みたいな所に連れて行かれる。

その時、流暢に日本語を話すお兄さんに「どうした?」っと話しかけられる。
なんでも名古屋に3年居たらしい。
そのお兄さんが交渉をしてくれることになった。

そのお巡りが4万tg払えば許してやると言ふ。

しかし、俺はポーランド人に両替してもらった2万5千tgしか持っていないと話す。
したらなんと、持っている分で良いと言ふ。
そして、通訳のお兄さんが5千tg値引きに成功。

つまり、”その場でズバッと現金値引き”まるで、〇〇電気みたいだ。

しかし、そんないい加減な罰金ってあるんだろうか、どうせ自分の副収入になるのは明白だ。

御蔭で、大金2万tgも失ってしまった。
え、日本円でいくらって? 1200円ちょっとかなー(^^ゞ


通訳をかってでてくれたお兄さん、また日本に行ったら電話してくれるそうだ。
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その後、日本大使館はすぐに見つかる。
早速、パスポートの自動車マークの話をすると、これは単に陸から入国したと言ふ意味で、空から来ると飛行機のスタンプになるんで心配ないと言われ、一安心。

ついでにSIMを買うテレホンショップを教えてもらい、あと、例の「オートバイを預かって欲しい」意の文をモンゴル語で書いてもらう。勿論これらは大使館の仕事ではないのだが、快くやってくれた。

大使館を出て、モンゴル通貨が罰金で無くなってしまったので、まずは両替屋を探す。
地球の歩き方を見ながら、両替屋の近くまで行った時、たまたまゲストハウスを発見。

ダメもとで、早速ノートを見せて宿泊とバイクを預ける件を交渉したところなんとOK !

それもバイクの預かり金は10日で700円以下!
宿泊も、一泊で700円以下と言ふ驚異的なプライス。

それに、日本人が一人宿泊している。
旅行中の学生で英語が普通に話せるので、通訳してもらい、スムーズに交渉終了。

明日からの予約を入れ、両替をして、テレフォンショップに行ったら、日本語が話せるきれいなお姉さんがいて、首尾よくSimをゲットし、ホテルに戻る。

ようやく俺にもツキが廻って来たようだ。

これがそのゲストハウス、柵の中に駐車場があり、バイクも安心だ。
このゲストハウスは地球の歩き方に乗ってなく、ネットで探したが出てこないんで、ドミトリーなら大体空いているようだ。
ゲストハウスの名前も良く分らないが、多分ナチュラルセンターゲストハウスかも。
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最初PUBゲストハウスだと思っていたが、一階フロアにパブがあったんで違うみたいだ。



右がゲストハウス先住者のひろし(敬称は要らないとのこと) 左がその後入居した(忘れた)?君 二人には大変世話になりました。
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7月24日
ホテルからゲストハウスに引っ越す。



ひろしがツアーの申込に行くと言ふのでつき合わせてもらう。

格安のツアーを紹介する所があるとのこと、これはラッキーかも。

モンゴルで乗馬をするのが夢で、そのために事前に日本で乗馬を少し習っておいたのだ。

行ってみるとなんとホンゴルゲストハウス。ここは俺が宿泊を断られた所だ。
英語しか通じないんで、ひろしに明日の1Day乗馬ツアーを申し込んでもらう。

ウランバートルから数十キロ北東に行った所にあるテレルジ。
その手前にある保護区の観光と乗馬で、価格はたしか41USドル、これは安い。
一日遊んで3千円チョットしかしない。

ひろしはゴビ砂漠ツアーを狙っているようだ。

その帰り道、彼と食堂に寄ってみる。

モンゴルの食堂の入り方とか分らないので、一人だとどうしても敬遠してしまう。これはチャンスだ。

ひろしは流石旅慣れているようで、ソツなく注文していく。
俺もサラダを頼んでみたが思ったより量が多く、縮んだ胃袋にはキツイ、これで200円ぐらいだから安い。

彼はピロシキを二枚食べて100円しなかったが、中国からモンゴルに入ったのでこれでも高いと感じるらしい。


その後、別れてウランバートルを少し見学するが、この街に来て一番驚いたのが車の交通マナーだ。
日本では考えられないほど、皆 運転が荒い。

車で道路に入る時は走っている車がいても相手がブレーキをかけるのを計算して脇から飛び出す。
当然怒ってクラクションを鳴らされるがお構いなしだ。

しかし、それがここでは普通のことなのだ。

その証拠に車のクラクションの音が街から鳴り止むことはなかった。
更に驚いたのは、その車が飛び交う6車線道路を、家族連れが渡っていくのだ。

これがその写真だ
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車は渋滞で止まっているのではない、ゴーゴー走っている状態である。
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これでも不思議なことに、交通事故には滅多に遭遇しない。
交通マナーがいい加減な分、それに対する自己防衛のスキルが磨かれるのではないかと思う。
そうだとすると、日本のように交通マナーが整備された所は、逆にその防衛スキルが錆びれている可能性がある。

チョット、脱線するが、昔、交通戦争とか交通地獄とか言われ、多大な犠牲者が出た時代があった。
しかしその後、事故の上昇率も減少した。
その理由は交通ルール、マナーが行き渡ったためであろう。
しかし、もしかしてそのまま放っておいても、勝手に減少したかもしれない。

当時の事故多発の原因は、自動車の普及速度に、自己防衛のスキルアップ速度が、追いつけなかった為ではないだろうか。
もしそうなら、モンゴル人のように、スキルレベルが追いついた時点で、事故が減少するはずだ。

危険だと感じる行為を普通にこなし、なんで事故にならないんだろうと考えるとそんな気がしてくる。
多分、日本人が、歩行者、車ともに同じ事を皆はじめたとしたら事故の山ができるだろう。



7月25日
今日は乗馬体験ツアーと言ふ事で、朝ホンゴルゲストハウスに行く。

6人のツアーで、フランス女性一人といろんな国の男性5人と言ふグループである。

最初は少し話すが、言葉が通じないのはやはり面倒なので、自然と会話はなくなる。
予定より1時間遅れて出発、ま、日本じゃないからね。


ウランバートルから一時間半ぐらい走った所で目的地に着いたようだ。

場所は良く分らないが保護区らしい、きれいな所だ。

皆さんしばらく散歩したところ(俺は寝ていた)で、ゲルに入って羊の煮込みみたいなのを頂く。
旨いが羊が苦手な人は辛いかも、フランスのお姉さんは辛そうであった。
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その後待ちに待った乗馬である。

モンゴルの馬は全体的に小柄で上下運動が少なく非常に乗りやすい。
乗馬初心者の俺でも楽に乗ることが出来る。

しかし、この馬は頭がよく、いつもの決まったルートをキッチリ歩こうとする。

それでは面白くないので、無理やりルートから外させようとタズナを引張る。

馬と意地の張り合いをしていると係りの男の子から注意されたのでしばらくは静かに乗っているが、それでは意味がないんで、また馬に静かに戦いを挑む。

しばらく抵抗していた馬が根負けしたらしく、ある程度素直に従うようになった。

これが調教と言ふやつだろか、それとも虐待?

そんな訳で自分だけ走ったり、他に行ったりする。
馬も割と素直に従うので先ほどのように注意されることもなくなったようだ。
 
モンゴルの草原を馬で駆ける爽快さは病みつきになりそうである。

他の人は多分乗馬は初体験らしくただ決められた道をゆっくりあるくだけであった。

やはり多少なりとも事前に練習してると楽しさが全く違う。
これだけは練習しておいて正解だったかも
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流石、保護区なかなかの景色 左に見えるのが有名な亀石
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子供は皆、馬がチャリ代わり
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亀石のアップ
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7月26日
日本一時帰国の前日 明日の出発準備を一通り済ませ、ウランバートルを歩いてみる。
食堂に入ってみる。
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メニューを見ても何も分らないので600TG 約40円を注文したら、ピロシキみたいなやつだった。
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ロシアと違い、看板に英語があるので大変有り難し。(青い看板が両替所)
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7月27日
チンギスハーン空港までバス(約30円)で行き、そこから経由地韓国へ飛ぶ
パスポート一つで難なく審査をを通過する。
翌日昼過ぎ秋田空港へ到着、機を出た途端、むし暑さがここは日本だと教えてくれる。
空港まで迎えにきてくれたワイフと虎徹に感謝、20日程度留守にしただけだが、我が郷土がどこか違って見える。
多分生涯で一番長い7月になるだろう。


取り合えず、此処までがモンゴル前編です。

                       つづく


追伸
後編は、まさにチャレンジと呼ぶに相応しい内容になると思う。
 
                           




いよいよユーラシア大陸スタート

※明日はモンゴルに戻る日なんで、一気に書き下ろしましたんで、誤字脱字は許してくれm(__)m

7/12 ワニノからハバロフスクを目指し出発。
最初の60km程度は舗装だがあちこちに穴があり、ハマったらコケそうなんで、避けながら走行する。
その後は未舗装路が80km程度つづく山越え路だ。
未舗装というだけで、特に悪路ではないが、まれにある工事区間が短いが走りにくい。

写真は土砂崩れの除去作業のよう。車は皆、焦らずのんびり待っている。日本のようにイライラしないのだ。
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山越えの後はハバロフスクまで舗装路、
初野宿、回りを確認し、ε=ε=ε=┌(;゚д゚)┘ササッと脇道に入る。
本日の走行距離360km 明日はハバロフスクだ。

情報どおりやはり蚊が多い。用意したネット帽子は大正解
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7/13 昼頃ハバロフスクに到着、大きな都市だ。
ジュプヘゲン村郊外で殺害された仲間の現場位置を聞くために、日本領事館をたずねる。
地球の歩き方の地図ではたしかにここのはずが、無い。
困っていると、必ず出てくる助け舟、ロシア人ってなんと親切。
ロシアのライダー ユーリさんから先導してもらいたどり着くことが出来た。
場所は殆ど正解なのだが、入口が別の通りから入るので、分らないところにあった。
早速、領事館の方に現場のことを聞くが、よく分らないとのことであった。
これなら、もっとしっかり日本で確認すればよかったと反省。
行けば分るかもしれない、っとその場はあきらめる。

ナイスガイのユーリ氏
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それからである、そのロシア人のユーリさんから、これからワイフと食事の予定があるが、一緒にどうだとご招待されたのでお邪魔でなかったら、とのってみる。

奥さんは教師とのことで、英語が話せるのである程度の会話が出来、うれしい。
ボルシチや色々美味しい料理をご馳走して頂き、恐縮 

良い感じのカップルだね
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その後、ユーリさんにたのみ、携帯のシムカードを買いに付き合ってもらった。
安いノキアの携帯は日本で買っておいたので、現地のプリペイドシムを手に入れれば、現地の携帯になり、電話料金が格安になるのだ(国際電話のやり方しだいだが)。
シムカード購入手続がが全く分らなかった俺にとっては本当に有難い。
おかげでやり方はほぼ把握できた。
やり方は、街のテレフォンショップをなんとか探し出し(大きな町にはいっぱいあるようだ)金とパスポートがあれば、向こうでやってくれる。
その際、プリペイドのバランス(料金補充)も一緒にやってもらう。(後で追加など方法がわからないので)
ただこれを全身で表現するのだ(笑)
ロシア語ではシムカードのことをシムガルタと言ふ、バランスはそのままバランスで使えそうだった。
あとは気合だ。

ホテルまで案内してもらい、名詞に困ったことがあったらここに連絡しろと書き残し、彼は去っていった。

ホテルから望むハバロフスク 本日の走行250km
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7/14 朝ハバロフスク出発 道路の案内板にチタまでの表示がある、街をでたところで確か2200kmぐらい。
この看板がチタまで、各所に設置されており、走行のはげみになる。

チタまで1757km
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本日の走行510km
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グリーンのフィールドはジャガイモ畑 先がみえない
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この看板の青文字がコーヒー(食堂)とやっと解読成功。で、勇気を出して初めて入る
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食べ方はカウンターで最初にメニューを見て注文し、お金を払いテーブルで待つ。
食事後食器を片付ける必要は無し。
メニューには写真とかなかったので、ボルシ(ボルシチ)と言うとわかってくれた。
食料の物価は安く、一食100円前後だ。


ガソリンは、給油ホースのところに停め、窓口に行き、ポールニー(満タン)と言って、多めに料金を払い、自分で給油し、終了後窓口で釣りをもらう。お金がたりなければ、その料金分で給油は止まるので窓口に行く必要は無い(領収書が欲しければ別)
もちろん最初に10リットルと宣言してその分の料金を支払ってしまえば、給油後窓口に行く必要な無い。

窓口は鉄格子で厳重に防犯されている
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チタまで1000km
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7/15 本日の走行700km  寝場所探しでバイクは泥んこ状態。
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7/16 たまらず川でバイク洗浄
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草原地帯に入り、寝場所がない
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7/16 本日の走行 695km ようやく、林を見つける
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ようやくチタの街が見えてきた
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毎回のことだが、本当に宿探しに苦労する。
街をヒタスラうろうろする。
するとでた! 待ってました救世主ライダー!
バイクの安全なホテルへ案内してもらった。いつもながらロシア人には頭が上がらない。

チタのナイスガイ
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7/17 本日の走行270km ホテルからの風景つばめ何多い、これで夜の10時頃
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7/18いよいよ殺害現場を通る日だ。
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シベリア鉄道を望む
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現場に近づくにつれ風雨が強くなり、おまけに予定より50kmも早く燃料が予備に切り替わる。
その中、それらしき道があったので入ったが、どうやら外れ、引き換え増と方向転換中に初立ちゴケで、必死でバイクを起こすが腰に効く。
遂に捜索を諦め、ガソリンスタンドまでハラハラで走り、なんとか60km程度行った所で辿りつく。
供養したかったのだが、あまりの状況の悪さ、何かあるのだろうか。
いずれにしても、残念だ。

7/18 現場から100km程度行った所  本日の走行410km
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一面の蕎麦畑
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ウランウデに到着 ここは以前うらんが泊まったホテルで 座標を残してくれた御蔭で、ホテル探しの苦労から開放される。
ただ、一泊1200ルーブルとかなり値上げされている。
7/19 本日の走行280km 
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このホテルは非常に良いロケーションで、近くに市場があり、見学だけでもうれしい。
ホテルに1泊し、パイカル湖に行き、ウランウデをそのまま通過してモンゴルに向かう予定であったが、色々計算すると、ホテルに2泊したほうがベストな選択だとわかる。
うらんもここに2泊している、伊達に世界を2度も回っていない。
これからも参考にさせてもらおう。

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ホテルの近くの店だが何の店か分らない、全ての街がこんな感じ
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7/20 ウランウデから170km、バイカル湖畔に到着 対岸が飛島から庄内平野を望むような感じで微かに見えるDSC_0358.jpg

生バイカルを見れたことで感動していると、近くのロシア人がこれを食えと鱒の燻製を持ってきてくれた。
かなりデカイ、流石に半分ちょいで限界。
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こんどは別のロシア人が来て色々話しかけるが、全く言葉が通じない。
しかし、なぜか意気投合不思議なもんだ。
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そして奥さんを連れてきた。一緒にテントで食事しない?っと言われたが、鱒で十分になっていたのでことわる。
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このグループが鱒を頂いたナイスガイ、手前の壷には鱒の塩漬けが満タンだった。釣れるんだろうね。
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ウランウデに戻り、丘から街を望む
7/20 本日の走行350km
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7/21 朝8:00頃 モンゴル国境に向け出発
途中道に迷いながらも国境の検問所に到着
手続も何も全然分らないが、行くしかない。
パスポートを見せ第一ゲートを通過。
出獄審査を受ける
それが終わると次の建屋で税関検査でロシア側終了。

ほっとする間もなく、モンゴル側建屋で入国審査
その次に別のモンゴル側建屋で税関審査

結局、3時間ぐらいかかり、無事通過

これでなんとかモンゴル入国となった。
その間、自分のやったことは、関係ありそうな書類をありったけ提出し、あっちへ行け、こっちへ来い、ここにサインと言ふ按配に言われたとおりうろうろするだけであった。
でも結局はそれでなんとかなるのだ。

いよいよモンゴル編だが、これは次回帰国まで無理かもね(^^)v
プロフィール

損師

Author:損師
今年(2011年) 58歳になる親父です。
ただ今、バイクによるユーラシア大陸横断を計画中。

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